松本サリン事件があったとき、私は長野県で新聞記者をしていた。住んでいたのも、松本市の南・塩尻市だった。



 この事件の第一報が入ったとき、事件があった近くに住んでいた人から電話があったような(こちらから電話したのか正確には覚えていない)。当初は、さまざまな憶測が流れていたらしいが、詳しくは述べないが、そうしたうわさ話があることを、報道部長に伝えた記憶はある。



 そのうち、この事件の第一通報者に疑いがかけられた。知る限りでは、もともと疑いのかかった情報が流れたのは、共同通信、毎日新聞、NHKだったような気がする。地元の信濃毎新聞に共同配信が流れる。長野県で最大の部数をほこる信濃毎日だけあって、影響力が大きい。



 しかし、この情報の流れた経路は、東京情報だった。長野県警の筋から流れた情報ではない。事件は現場ではわからない。それが正しいものか、虚偽なのかは関係なく、常に情報を操作するモノがいる。いずれにせよ、情報戦が始まると、その情報に振り回されるのはマスコミであり、読者・視聴者である。



 この事件では、疑われた第一通報者が弁護士とともに、記者会見をして、無実を訴えた。えん罪事件ではこう留されてしまって、なかなか思うように情報を発信できないのが常だが、今回は、運良く、こう留されずにいた。



 しかし、読者や視聴者は、この記者会見に疑いの目を持っていた。なぜ、用意周到なのか。たしかに、マスコミは、警察情報に踊らされていた。と同時に、読者や視聴者も、踊らされていたのだ。マスコミだけが、かれらを追いつめたわけではない。読者も視聴者も、共犯関係だった。



 警察やマスコミが疑ったら、その人が犯人ではないか、という感覚は、おそらく多くの人の中にある。このときもそうだったし、その後の事件報道を見ても、それから逃れている人は少ないのではないだろうか。



 ちなみに、第一通報者を「犯人」扱いをしていない報道もあったが、ごく少数だった。



 当時、TBSのブロードキャスターは、その一例だった。その番組の下村健一氏は、地元の市民団体とともに、えん罪報道を訴える市民集会を開いていた。私も、その集会に参加したのを覚えている。記者としてではなく、個人として(私がいた新聞社の記者も、取材はしていた)。



 マスコミがどう思うか。読者、視聴者がどう思うのか。多くの人がバッシングをしていたらしく、批判する手紙も届いていたという。その中で、第一通報者の長男が通う高校では、どのようになっていたのか。私は、このような情勢の中にあっては、孤立するのではないか、あるいはいじめをうけているのではないか、と思っていた。しかし、長男はいじめにはあわずに、周囲の友達は変わらぬ対応をしてくれていた、という。



 いまでも、なにか疑いがかかると、その人が近所で過ごしづらく、引っ越してしまうケースも多い。そんな中で、長男の友達たちは、偏見をぶつけることなく、「普通」に対応をした。私たちは、そこに学ぶべきものがあるのではないか、と思う。



 第一通報者の嫌疑が晴れたのは、地下鉄サリン事件が起きたときだった。これにより、オウム真理教の犯行という見方になるのだが、第一通報者は冷静だった。犯人かどうかを決めるのは、マスコミでも警察でもない。裁判所なのだ、と。確定判決が下るまで、実に冷静な対応だった。



 私がかれに取材したのは、数年後。高校の講演会に来たのを取材したのだ。私は、そのとき、自分が所属していた新聞社も疑いをかけたこともあって、個人の資格として、わびた。私はそのとき、取材をしたわけでも、記事を書いたわけでもない。しかし、システムとしての報道機関にいたわけだ。たまたま、担当でなかっただけだ。もし担当だったら、えん罪報道に加担していただろうと思う。



 そのときから10年が経った。事件からは14年。長かったことだろう。



 でも、私たちは、この事件で何を学んだのか。基本的な構造は変わっていないのではないか、と、報道機関、マスコミにいる人間として、そう感じる。



 マスコミ報道を鵜呑みにして、その情報に基づいて論評できてしまうネット社会は、一面では、マスコミの報道を検証することに役立つが、反面では、疑いをさらに助長する構造の一端を担っている。



 事件報道はどうあるべきなのか。週刊誌がうれない時代。報道にお金がかけられない時代。ますます、調査報道が減り、警察が情報操作をしやすくなっているような気がする。



 ご冥福をお祈りいたします。



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