コラム「ネット上で犯行予告をする若者」『BAN』 教育システム 08.10



  警察職員のための月刊誌「BAN」で、コラム「ネットに犯行予告をする若者」を執筆しました。今月の特集は「無差別殺人はなぜ起こるのか」。



 ちなみに、「なぜ起こるのか」的な分析を書いているのは、佐木隆三氏(作家)と作田明氏(聖学院大学客員教授)。



 佐木氏は、自身が傍聴取材をした宮崎勤事件も「無差別事件と言えるかもしれない」として、秋葉原の事件とは異なり、裕福な家庭の長男だが、選定性の両手の障害があり、「小中学校で女の子がひそひそ話をしていると、自分の欠陥をあざ笑っているものと思い込んでいた」と書いている。そして、家族はバラバラで、お互いに関心がない。社会参加の意識も低いと。



 下関事件とオウム事件にも言及して、「要するにエゴイストが、短絡的な志向にもとづいて、無差別殺人を行った」「そういうエゴイズムが、社会全体に蔓延して、露骨な格差社会になった」と述べています。



 一方、作田氏はいまを「無差別殺人事件の第3の波」としています。



 第1の波は、1980年8月、新宿バス放火事件と、81年6月の深川通り魔事件。



 第2の波は、1999年の池袋通り魔事件、下関通り魔事件



 第3の波が、2008年の土浦、秋葉原、八王子などの事件。



 下関事件と秋葉原の事件の共通点として、



 ・子どものころは頭が良かった

 ・手がかからずおとなしい子どもだった

 ・勉強への強要と挫折(強要は、秋葉原のほうがひどい)

 ・犯行時に家族と疎遠

 ・経済的に困難

 ・社会的に孤立

 ・精神的に不調(下関のほうが重症)

 

 「彼らは元来高い知能を持ち、小中学生の頃は優秀な学業成績を得ていることが多い。それがその後に挫折・失敗し、転落していくのであるが、このままでは終わりたくないという思いも強いのである」



 「普通の方法によって成功することはもはや不可能であると考え、残された手段は、犯罪のような行為によって世間を驚かせるととにに、自分がこれだけ大きいことができるという達成感・満足感を味わうことを求めるようになる」



 こうして、犯行の根拠を個人の生育歴に求めている。



 さらに、佐久間修氏(大阪大学大学院教授)も、犯罪を個人の資質に求めているような気がするが、対策として「地域社会の再生とコミュニティー・ポリーシング」とのタイトルで、



 「従来の精神的自立を促す改善システムでは、ただちに同種の犯罪を防止できない。同様の事理は、心理的依存性の強い少年犯罪にも妥当する。そこで、地域社会の帰属意識を高めるコミュニティ・ポリーシングが、これからの抑止手段として期待できるのではないか」



 と書いています。つまり、地域を警察活動に巻き込む、ってことか?警察国家的な発想でしょうかね?







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