ブリュレを観てきました。監督の林田賢太さんが病気で亡くなったために、デビュー作にして遺作になったことでも話題となっていました。キャッチフレーズの「会い
たくて、会えなくて、火をつけた」も気になっていました。でも、ロードショーを逃した、と思っていたら、特別上映があると聞き、駆けつけました。ひとこと
で感想を言うとすれば、「欠けた心の補完」ということでしょうか?



 映画を見終わったとき、フロアに出演者がいたのはびっくり。主人公の二人は銀幕でみるよりもかわいい。



 以下、ネタバレを含む。



 一卵性双生児の双子、奥田日名子と水那子。父親が死んでから、離ればなれとなっていたが、ある日突然、一緒に暮らしていたおばあさんが亡くなったとして水那子が、日名子を訪ねる。13年ぶりの再会だった。



 日名子は、ケーキ屋を営むおじさんの家でブリュレをつくるなどしていたが、もう一つの顔が「放火魔」。繰り返し放火をしていたのだが、その動機
は水那子と会いたいという思いだったものの、それを言葉にできたのは水那子が訪ねてきてからだった。そして、水那子はそのメッセージに吸い寄せられるよう
に、放火の記事を集めていた。何も言っていない段階で、水那子は日名子の思いを受け取ったかのようだった。



 ブリュレの公式サイトの解説では、「双子って、心中した者同士の生まれ変わりって知ってた?」とあるように、二人の思いは生まれる前からつながっていたかのようにも見える。二人を見つめる視線が、姉妹愛を超えつつ、恋愛でもないなんらかの情念を感じた。



 でも、なぜこのタイミングで水那子が訪ねてきたのか。それは、自らの死を悟ったからだった。脳腫瘍でもう命が長くないのだ。求め合いながらも、
死を意識してから初めて行動に出れたのだ。逆にいえば、死を感じたときに、最後の日に会いたいのは誰か?と考えて、水那子は日名子を選んだのだ。この世で
一番好きな人に会うかのようだ。私は思った。最後の瞬間を過ごしたいと思う相手がいただろうか、と。もし、いま、死を宣告されたとき、誰に会いにいくの
か、と。



 一方、放火癖はなかなか治らない日名子。これまで住んでいた家に水那子が帰ろうとしたとき、日名子は家に火をつける。「水那子がいないと、火を
つけちゃうよ」。ここで自分が放火をしてきた動機を口にする。そして、二人は旅に出る。水那子が死ぬまで2人で一緒に過ごすための旅だ。



 2人で過ごすためという意味では親密な感じをうけるが、ここでふたつのことが頭に浮かんだ。「あてのない旅」という意味では、『ユリイカ』を想像してしまう。もう一つは、親密でありながらも、なかなか「死が近い」ことを言えずにいる水那子のいじらしさの一方で、これから一緒にいられると将来が希望に満ちあふれている日名子の気持ちの揺れ動き。演技自体ははげしいものではないが、表情から読み取れるものが少なくはない。



 結局、水那子は死んでしまうが、その前に「私を産んで。そうすれば、一日中、抱っこされることができるし、おっぱいを飲むことができる」などと
お願いをする。日名子はそれを承諾する。一卵性双生児の2人は、一緒にいられるなら、その形を問わない(それが恋人であれ、姉妹であれ、母娘であれ)とい
う強い絆を感じさせた。