同志の皆さまこんにちは!
良いママの仮面をかぶっている女たちのリーダーのふせけいこです。

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トンビが鷹を生むって言葉がありますでしょ?

 

 

これ、ことわざの意味はまた別として、最近特に思うのは「私の子は私」ではないんだなぁということ。

 

 

わが子は私のコピーではない。

 

 

これ、字面を読むと「はい、そーですよ」と分った気になるんですけどね。

 

 

でも過去を振り返った時に、実際に腑に落ちていてそれをベースに私が行動していたかというと自信ないかも。

 

 

「わが子は私のコピーではない」

 

 

日常の子育てでもこれは感じられる場面があると思うんだけど、長女の不登校で私はこれをクッキリハッキリ腹落ちさせてもらいました。

 

 

その意味で言うと、長女が不登校にならなかったら、私は長女を自分の知っている路線の中から手放すことはできなかったかもしれないな。

 

 

 

 

親は子どもの幸せを願ってる。

 

 

ブチ切れたり、説教したり、子どもからしたら理不尽極まりないときもあるかもしれないけれど、そのベースには親なりの「この子のために良かれと思って」があると思う。

 

 

だからこそ、無意識に親自身の成功パターンや世間的な正解を子どもに示したくなるんだと思う。

 

 

この道を行けば安全だよ。

 

 

こっちが楽だよ。

 

 

誰だって、子どもが悩み惑い悶絶したり絶望する姿を見たくないから。

 

 

で・も・ね

 

 

想像してみてほしい。

 

 

例えば、ジグソーパズル。

 

 

これから取り組もうと思ったのに、全部手順をおしえてもらって、なんなら自分の目の前でピースを全部はめ込まれたらどんな気分になりますか?

 

 

楽しみにしていたドラマや映画。

 

 

「あと5秒後にゾンビが出てくるよ」

 

 

「この人死んじゃうよ」

 

 

「犯人はこの人」

 

 

こんなにもネタバレ祭りで、続きを見たいと思いますか?楽しみにしていた気持ちはどうなると思いますか?

 

子どもが喜怒哀楽にまみれて試行錯誤を繰り返すのは、自分の力を試したいから。ちょっと大きく表現すると、自分の人生を味わい尽くしたいから。

 

 

そのベースには「自分でやってみたい!できる!」がある。

 

 

不登校でも、部活動でも、受験でも、恋愛でも、就活でも、そのほかのありとあらゆることがそう。

 

 

自分なりの道を切り開いていくことに、生きる喜びがある。

 

 

そして、喜びを得るまでの過程には悩み落ち込み挫折することが当たり前にある。

 

 

これは不要なものではなく、その子のメンタルをより強固にするための糧になると私は思っている。

 

 

ただ、ひとりで乗り越えるのはシンドイこともあるから、ここで親の出番がやってくる。

 

 

それは、その子の代わりに問題を解決したり回避するように導くことではない。

 

 

親自身の心配をぶつけることでもない。

 

 

その子が心と体を回復するためのベースキャンプを用意しておくこと。

 

 

 

 

そして、求めがあれば適切なサポートをすること。

 

 

親の出番が来るまでに親がしておくことは、自分を充実させておくこと。

 

 

具体的には、健康に留意して仕事なり趣味なり遊びなりを満喫することだと私は思ってる。

 

 

子どもがどんな状況であっても、私の日々は充実している状態にすること。

 

 

私を私が幸せにしておくこと。

 

 

長女の不登校で、私はそんなことを学ばせてもらいました。

 

 

わが子へのコントロールを手放して信じて見守れるマインドを育む連続セミナー。

 

 

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それでは今日はこのへんで!

 

 

さいごまで読んでくださって、ありがとうございました!