同志の皆さまこんにちは!
良いママの仮面をかぶっている女たちのリーダーのふせけいこです。
今日も不登校についての話なんですけど、その前にどうぞこの5分ほどの動画を見てください。
セイバンさんのランドセル選びの動画なんですけど、子どもは親の良き理解者だということが分かります。
それと同じくらい、私たちは子どもを理解しているのかな?しようとしているのかな?
見てくださいました?ありがとうございます^^
どんな気持ちになりました?私は毎回胸がキュッとなって涙が出ててきちゃうんですよね。
私たちはって「この子のため」とか思いつつも、時に「自分のため」だったりすること、ありません?あれ、私だけ?
人の目を気にしたり、自分の中の価値観を優先したり、何かから自分を守るためだったり。
私は、それが悪いと言いたいわけではないです。
大人だろうが親だろうが、私たちはそもそも弱さを持ったひとりの人間なので、「自分のため」はあってしかるべきだと思っています。
セイバンさんがこの動画を制作した意図は別にあると思いますが、このランドセル選びの動画を見るたびに、私は「自分のため」を耳触りの良い「この子のため」で綺麗にコーティングして子どもに投げかけてはいまいかと己を顧みずにはいられなくなります。←発作(汗)
動画の中の子ども達「親が選んでほしそうなランドセル」というお題に対して、親の好み、喜ぶこと、望むこと、よーく分かってランドセルを選んでいました。
子どもの親を分かろうとする気持ちは純粋。
だからこそ時に「あなたのため」は苦しい響きとして子どもに届く。
親の、おそらくは無意識な「私のため」が透けて見えて、真逆な性質の二種類のメッセージが届くから。
そして、「あなたのため」という言葉よりも、親の態度や口調によって言外の「私のため」の方がよりパワフルに届いてしまうから。
ここが、過干渉を受ける子の苦しみなのではないかと私は思います。
どんな風にこのブログでお伝えしたら伝わりやすいかなぁと探り探りなのですが、私は過干渉は子どものエネルギーを奪う原因のひとつになると思っています。
私たち母は、子どもに対して良かれと思っての愛を注ぎます。その愛のボリュームと方向性によっては、子どもが求めていない愛になってしまうことがあるということなんですね。
というのは、過干渉は親自身の安心のレールを外れないように子どもに口出しすることだからです。
厳しい言葉選びかもしれませんが、過干渉=愛情の押し付けによるコントロールとも言えると私は思います。
そしてこの影響は、思春期以上にジワリジワリと出始めます。
本来であれば自分を確立して社会で生きる準備をする時期に、自分が分からなくなってしまうんですね。
自分が何をしたらいのか分からない、何が好きできらいなのかもわからない。そんな空っぽな感覚に苛まれつつ日常を送るということです。
そして過干渉は、不登校とも関係性があります。
自分には、自分の「欲しい」に向かって進んでいく力があるけれど、親の「欲しい」を優先しなければいけないような空気感の息苦しさ。
ブレーキをかけて自分の望まぬ方向転換をしなければならないストレス。
子どもとしてはこの空気感やストレスをはねのけたいけれど、やっぱり大人対子どもでは色んな意味で負けてしまいますよね。
不登校には大きく分けて4つの目的があるのですが、中には怒りの表明を目的として不登校を選ぶお子さんもいます。
怒りのエネルギーがあるうちはまだ良いのですが、それがあきらめに変わると燃え尽きて引きこもってしまう場合もあります。
親への想いの純度が高い分、絶望も深いんですね。
そうなる前に、親自身が過干渉マインドに気づいてお子さんへの関わり方を考える必要があるのかなと私は思います。
怒りを表明するということは、その裏に「分かってほしい、私の等身大を受け入れてほしい、私を信じてほしい」という健気な想いが隠れているということなんですね。
そこにアクセスできると、状況が変わっていくと私は思います。
そのあたりもカバーできる連続セミナー連続セミナーを6月に開催します。
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