六年目の紙飛行機2012年11月6日に書いた紙飛行機 という記事です。http://s.ameblo.jp/hamlet0619/entry-11397813491.html男の子はこの春小学校を卒業しました。紙飛行機を飛ばしていた彼は今白球を投げています。ピッチャー。中学校でも野球部に入るそうです。お母さんもソフトボール部のピッチャーでした。おばあちゃんは「甲子園に連れて行ってもらうまでは死ねない」と 笑っています。紙飛行機は甲子園へ向かって飛んでいます。I could write this thanks to Orie.
浴衣初めて衣類を募ったのはこのブログをはじめる前義母と浴衣を集めたのが最初でしたあの時は津波に命を奪われたご遺体にかける浴衣すら無く家が残った者で浴衣を集めたのでした義母と桐箪笥を引き家族の浴衣を広げました白浴衣の他にも若い時に着た藍に向日葵の浴衣祖母の燕脂に松葉の浴衣義母の青磁に染めた麻の浴衣義父の縞絞りの浴衣袖を通さなかった主人の亀甲絣の浴衣ご近所にも声をかけましたすぐに集まりました亡くなった方が着るのだからとシミがないか虫食いがないかほつれはないか一枚 一枚 確かめ溢れてくる涙を振り払いあわせ 折り たたんで届けました11日が巡る度浴衣に包まれた方がどうか安らかでありますようそのご家族がどうか穏やかでありますよう祈り瞼を合わせます
いいえ だれでも今日の練習をもって倅がサッカークラブを卒団します。遠征もなくなった三学期自分の時間が出来たので私は久しぶりにボランティアに参加しました。今年度は雪が少なかったから雪掻きボランティアの必要がなくもう御用はないのかもと思っていたところにお声をかけていただきました。傾聴。簡単なマッサージをしながら仮設住宅の皆さんのお話を聴く。笑って 泣いて叱られて 笑って。帰りに戴いた絣のティッシュケース。見えないポケット付きでハンカチや診察券やナプキンや入れられるようになっています。流石 海の女無駄が無くとおっっっても素敵。最初は思ったものでした。ボランティアに伺ってお礼を貰って帰るなんて と。お気持ちだけと言った私に「おめさんも こごらの人だぁべ?」(貴女も 近くの お住まいでしょ?)と 田老のおばあやん。「実家が山田です」「んだら わがるべ」(それなら わかるでしょう)「うん わがる」それからはどうもねって戴いて帰っています。「どうもね」には「かえって どうもね」そう返すのが三陸の文化。「ありがとう」には「こちらこそ ありがとう」ボランティア でしょうか、いいえ、だれでも。