古典は役立つか? | hamitellsのブログ

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カンニング竹山さんが「人生で一度も古典が役立っていない」と発言されたことを知りました。

 

昔、受験生ブルースという歌で「サイン、コサイン、何になる」という歌詞を思い出します。

 

同じ事を言った大臣がいましたが、サイン、コサインは建築や科学技術で大変重要なものでありましょう。

 

私の考えは古典についても、しかり。

 

難解な文法やテストの点数を取るための勉強をする割に、実入りが少ないことから、役に立たないと思われるのではないでしょうか。

 

私は、古文は苦手です。

 

助動詞がいっぱい。

 

「なり」は接続の仕方で「伝聞、推定」か「断定、存在」と意味が変わる。

 

「たり」も接続の仕方」で「「完了、存続」か「断定」と意味が変わる。

 

動詞の四段活用、上一段活用、上二段活用、下一段活用、下二段活用、ナ変活用、ラ変活用、カ変活用、サ変活用。

 

尊敬語、謙譲語、丁寧語。

 

係り結びの法則…、もうお腹いっぱいとなります。

 

紀貫之の土佐日記を読めば最初の「男もすなる…」と最後の「とまれかうまれ…」くらいしか知りません。

 

が、土佐日記の航路に「奈良志津」という地名を見つけたとき、これは今の奈良師の浜ではないか。

 

だとしたら、貫之さんも「さざ岩」や「金魚岩」を見たのだろうか。

 

いろいろ想像が膨らみます。

 

「紀」つながりで「紀友則」につながれば、

 

「ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ」

 

という和歌に当たります。

 

私は桜の季節になれば、この歌を思い返します。

 

私の心も1100年ほど前の友則さんと同じかな。

 

和歌つながりで「蝉丸」につながれば、

 

「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」

 

に当たります。

 

しみじみと出会いと別れを感じます。

 

今の私に、古典がお金になるかといわれれば、お金になりませんが、心の清涼剤にはなっているようです。

 

昔、金曜ロードショーで映画評論家の水野晴郎さんが、

 

「いや~、映画って本当にいいものですね。では、ご一緒に楽しみましょう!」

 

とおっしゃっていました。

 

「映画」を「古典」に置き換えると…。

 

私にとって古典は「いと をかし」です。