Googleマップの経路検索(徒歩)にて。

岩付城(岩槻城)を起点にした徒歩での移動距離は、

・幸手城 16km
・騎西城 23km

・河越城 22km
・葛西城 28km
・江戸城 33km

・武州松山城 31km
・忍城 33km

忍城は、やはり遠い。

太田資正は、居城岩付城から遠い葛西城や武州松山城の維持に苦労し、結局は北条氏によってこれらの城を削り取られている。

資正の夢の核は、
・父祖の城である岩付城と、
・義父難波田善銀から譲り受けた武州松山城、
その二城をまたぐ“帝国”。

ここに義理の兄の大石石見守の葛西城が加われば、江戸湾から内陸松山までを荒川でつなぐ“大帝国”が現出することになる。

これは、江戸城を奪われた頃の扇谷上杉氏の領国にほぼ等しい。

資正は、扇谷上杉氏帝国を復活させようしていたのであろう。そして、永禄三年末から五年の四月までという短い期間がら一時的ながら、これを実現したのだ。

岩付城を中央として、右翼に武州松山城、左翼に葛西城という、それぞれ長さ30kmの両翼を広げて北条氏と戦おうとしたのだから、まさに気宇壮大。

大きすぎて儚く消え去った夢ではあったが、夢を描き、形にするには、智力と胆力が要る。
やはり資正は、傑物だ。