また少し追記。
玉隠が、山内上杉顕定への尊称をどう変えたかを具体的に示してみました。


例えば、(エ)では単に「関東管領上杉顕定」とされていた山内上杉顕定は、(オ)では「関東副元帥藤原朝臣顕定相公」と重層的な尊称で呼ばれている。
また(オ)において顕定は「藤家棟梁顕定公」とも呼ばれ、「藤家」すなわち関東上杉氏の棟梁としての地位が強調されている。これは、山内上杉顕定が扇谷上杉氏を屈服させ、両上杉氏の棟梁となっていたことを意識した表現と見てよいだろう。