昭和10年(1935年)刊行の『空手道教範』における船越義珍の前屈立ち。平安二段(松濤館では初段)の一場面です。


この前屈立ちにおいて、船越義珍は完全なる半身姿勢です。後ろ手の拳は、身体に隠れて見えません。

今日の教科書的な前屈立ち、即ち身体を正面に向けた前屈立ちとは異なる姿勢です。

ただし、船越義珍の前屈立ちが常に半身であるわけではありません。

他の場面、例えば突きや上段揚げ受けを放っている際の前屈立ちは、今日スタンダードである正中線を相手に晒すスタイルの前屈立ちを行っています。

しかし、船越義珍が、真半身の前屈立ちを用いたことは間違いありません。自身の空手の教則本において、自らその姿勢を写真に納め、掲載しているのですから。

今日の松濤館では、船越義珍が真半身となった場面の前屈立ちは身体をやや斜めにした姿勢です。突きの際の正中線を真正面に晒した前屈立ちとは異なる立ち方が取られていますから、船越義珍の精神は受け継がれているともとれます。


しかし、船越義珍本人が示した程の真半身姿勢ではありません。船越義珍の立ち方は、ある意味では失伝したと言ってもよいのではないでしょうか。

弟子達に受け継がれなかった、船越義珍の真半身の前屈立ち。

船越義珍の師であり、松村宗昆の愛弟子であった安里安恒も、この立ち方をしていたのでしょうか?

そして、松村宗昆は?