最近、ひとり稽古のことを書いていません。

仕事のピークが重なり、久しぶりの会社泊などしてしまい、心に余裕がありませんでした。

しかし、“手遊び”的にできる、無想会の首里手の突き=螺旋の突きだけは、スローで軌道づくりを時々やっていました。

今日も地下鉄で、周囲に不審者扱いされないよう気を付けながら、スローでこの螺旋の突きをやっていましたが、その時にふと思いました。

実は私、この螺旋の突きの手首スナップを一時間違って稽古してしまい、先月末に気づいて以来、修正中。そのためのスローでの稽古ですが、いざ、少し速く突こうとしても、まだ今一つしっくりきていません。

広背筋で肘を下に引き落とす動きで、結果として肘を肋部に沿わせて前に送る。この時に、手首は掌打ちの時のように手の甲側に反った形でスナップしています。

この動作をなるべく、スパッと弾ける感じでやりたいのですが、もったり感が残ります。たまに速くできても、その次の第2のスナップ(手の平側に反る)と連続してやろうとすると、繋ぎに悪さが。

これはもう、ひたすら反復して身体が勝手に動く境地を目指すしかないようです。

しかし、考えるより反復、と思いつつ、やはり考えてしまうのが、オタク性の身の悲しいところです。

今日は、最初の肘操作+手の甲方向へのスナップを無意識に何も考えずに、スパッとできるようになれば、その後にスムーズに繋がるはずと考え、どうすればそれが実現するか考えていました。

その時、ふと思い出したのが、師匠の南風さんブログの少し前の投稿「股関節カックンについて」。

ここで紹介されているのは、股関節を抜いてスパッと動くための身体意識です。

膝を外に張るナイファンチ立ち、撞木立ちのあの状態は、股関節を抜けば、常時外に向けて張っていた膝が、支えがなくなって一気に開きます。

この一瞬の弾ける動作を、神速の踏み込みに応用するため、
・前から縄で自分を引っ張っている人がいる。
・後ろから自分を押している人がいる。
・自分はガマク操作でなんとか堪えているかわ、この堪えを抜くと、一瞬で前に飛び出してしまう。

・・・と、そんな身体意識。

ここまで高度なことは、いまの私には到底できませんが、発想そのものは、螺旋の突きの第1スナップに使えるのではないかと思いました。

即ち、「広背筋を使い肘を下げて前に送り正中線に激突させ、同時に手首は掌底打ちのカタチよろしく手の甲側にスナップする」という動作を、外から押さえて邪魔している人がいると考えるのです。

引き手の際、無想会の突きは手首を手の平側に折って畳んでいます。突きでは最初のスナップで(肘を正中線に激突させつつ)この手首の畳みを解放するのですが、この邪魔人は、それを外から抑え込んで妨害しているのです。

さらに、肘を広背筋で前に送ろうとする動作も、やはり押さえて妨害しています。

自分は、この妨害を跳ね返そうと、必死で押さえをはね除ける方向に力を入れています。
そのため、ある瞬間に、この空想の邪魔人が消えると、突きは押さえが外れて一気に飛び出す!・・・はずなのです。

とまあ、そんなことを妄想しましたが、やってみても、そんなに上手くはいきません(笑)。

一回、本当に螺旋の突きの最初の動作を邪魔する負荷を体に掛けてみたいものだな・・・

そう思った時、ふと思い至りました。

沖縄空手 那覇手で使われる鍛練具「握り甕(サンチンガーミ)」で、肘や手首に掛ける負荷って、これなんじゃなかろうか?!と。

握り甕を、腕を外旋させて持つあの状態は、力を抜けば肘が正中線に激突しに行くもの。
力を抜けば肘が正中線にぶつかりに行く状態でひたすら耐える鍛練は、逆に肘が正中線にぶつかりに行く瞬間力を養うものだったのではないか?

そして手首は、握り甕の口に手の平(掌)を置き、小指と親指で縁を握るあの手のカタチは、螺旋の突きの最初の手首スナップの際の手のカタチによく似ています。

甕の重さに耐えて手首を(手の甲側に折る方向に)ホールドする鍛練によって、手首を手の甲側に折る最初のスナップを鍛えていると言えないだろうか・・・?!


・・・と、思いつきのままにここまで書いてきましたが、この発想は変ですね(笑)。

肘は、力を抜くと甕が落ちる方向に身を任せれば、肘が正中線にぶつかる。
手首は、甕が落ちないように耐えている方向に身を任せれば、スナップできる。

つまり、この妄想では、重力に任せた甕の落下が、前者ではアクセル、後者ではブレーキということになります。

甕の果たしている役割が、真逆ですね(笑)。

整合性、取れてませんね。

まぁ、そもそも、首里手では握り甕を使うという話は聞かないので、この妄想は、スタートの時点で“筋悪”ではあったのですが・・・。

今日の妄想は、書き切る前に破綻してしまいました。

ここまで読んでくださった方には、平にお詫びもうし上げます。

でも・・・握り甕のあの腕を外旋させたホールド鍛練は、腕を内旋させる動作の神速化を果たすための「ゴム輪」づくりである・・・とは、言えそうな気が、しなくもありません。