お互いの両親に内緒で行った尾道旅行。
そこに住む妻母方の祖父母に会ってしまったことで、事は妻両親の知るところに。
血の気が引く想いの中、妻の実家に“挨拶”に行く日取りは決まったのですが・・・

亡き妻との10年前の思い出。『「富士は裾野」と知った日のこと③』の続きです。



④ 銀座の大喧嘩

2006年6月3日の土曜日。
妻の実家に“挨拶”に行く前日のその日、私と妻は空手の稽古を終えて、銀座に向かっていました。

当時、妻と出会った空手道場は、まだ代官山にありました。
土曜日の稽古はお昼前後の時間帯。稽古の後は、道場仲間のトムさん達と一緒に代官山や渋谷界隈でお昼を食べるのがいつものパターンでした。

しかしこの日は、のんびりランチを楽しむ気持ちではありませんでした。
私はトムさんの誘いを断り、急いで銀座に向かいました。
明日、妻の実家に“挨拶”に行く際の手土産をきちんと選ぶためにも、私は時間を無駄にしたくなかったのです。

「気負いすぎだよ。お昼食べてからでも、十分間に合うのに」
と、妻はのんきでしたが、私は聞く耳も持ちませんでした。

明日の妻の実家への訪問は、ただの“挨拶”ではないのです。
内緒の婚前旅行、そして旅先で事前に断りもなく妻母方の祖父母に会ったことに対する“謝罪”のための訪問。
そして、今回のことを許してもらった上で「娘を任せられる男か」と義父からの“見極め”を受けることになる訪問です。

失敗の許されない一大イベントを翌日に控え、あの日の私は、相当にナーバスになっていました。



銀座につくと、ドトールでサンドイッチとコーヒーの軽い昼食を済ませ、百貨店へ。
ところが、そこでたくさんの選択肢を前目にした私は、“決められない人”になってしまいました。

モノよりは食べ物がいいだろう。
食べ物だったら、やっぱり、日持ちするお菓子か?
いや、美味しいフルーツを持っていくのも、見映えがしていいかもしれない。
いやいや、こういう時こそ、老舗の和菓子だ。いいものであることが分かりやすい。
いやいやいや、彼女の両親はまだそんなに歳じゃない。華やかな洋菓子の方が慶ばれるんじゃないだろうか。
でもなぁ、洋菓子って、日持ちするタイプの焼き菓子は、意外に地味なのが多いんだよな。
となると、やっぱりフルーツか。
・・・

あの時考えていたのは、およそ、そのようなこと。

私は、迷いの迷宮に入っていました。そして、決められなくなってしまった私は、百貨店の中のお店を行ったり来たり。フロアを変えたり、時には外に出て路面店を覗いたり。落ち着きなく動く割には、買い物はちっとも進みませんでした。

久しぶりに銀座に来た妻は、最初の内は楽しんでいましたが、いつまでも決められない私に、途中からは呆れ顔でした。

「もう、何だっていいよ」と妻。「例えば、その菓子折りでいいじゃない?」

「あれは・・・ダメだ。何と言うか、華が無い。そんな風にいい加減には選べないって。喜んでもらおうと一生懸命選ばないと、そういうのは見透かされるんだ」
私はとにかく必死でした。

汗を吸って重くなった空手衣を入れたバッグ。それを持つのが辛くなってきた頃、ようやく、「これならいいぞ」と、思える洋菓子のセットを見つけました。

「納得できるのがあった? あぁ、よかったぁ。これで帰れるね」
私の手土産クエストの彷徨がやっと終わると、妻も安堵していました。

その直後でした。
後にも先にもない大喧嘩が始まってしまったのは。



きっかけは、その洋菓子セットのグレード選びでした。

一番大きな豪華なセットを選ぼうとした私に、妻が口を挟んだのです。
「高すぎだよ。それに大きすぎ。向こうは老人二人だよ。食べきれない程もらったって、困るだけだって」

「そうじゃない。」
私は引きませんでした。
「そういう実用的なことは、今はどうだっていいんだ。二の次なんだ。大切なのは、ちゃんとしたものを買ってきたことがわかる“形”なんだ。」

「違う。大切なのは気持ちだよ。そんな風に形に拘っていたら、気持ちが二の次になっちゃうでしょ?」

「そうじゃない。そういう理屈は、今回は通用しないんだ。」

私の口調は、いつになくキツくなっていました。
「普通ならそれでいい。でも、今回はダメだ。俺は、会う前から、君のお父さんに非常識な男だと思われているんだ。以心伝心なんて期待しちゃダメだ。気持ちは簡単には伝わらない。まずは、“形”にしなきゃダメなんだ」

ピリピリしている私に、妻は、少し嫌気が差していたのだと思います。
「はぁー。わかったよ。わかったけどさ。それでも高いよ。それにやっぱり大きすぎ。相手はたかが、うちの親だよ」

お互いの言葉のやり取りは、徐々にキツく攻撃的になってきましたが、仮に喧嘩になるにしても、それはまだまだ先。
私は、そう思っていました。
しかし、妻の言葉は、私の中の奥深くに仕舞っていた何かの蓋を開けてしまいました。

それは、『たかが、うちの親だよ』という一言でした。



「何が、『たかが、うちの親だよ』だよ! 」

百貨店の中だったにも関わらず、私は怒鳴っていました。

「君にとっては『たかが親』でも、俺にとってはそうじゃない! これから頭を下げて、非常識な行動を詫びて、本当はちゃんとした人間なんだって、認めてもらって、それで初めて結婚が許される重要すぎる相手なんだよ。なんで、それがわからないんだ!」

突然声を荒らげた私に驚く妻。
私も、自分の声の大きさに気づき、言いながら声量を抑えました。しかし、感情は抑えられていませんでした。
言葉が、次々と溢れ出てしまったのです。

「そもそも、なんでこんなことになったか、思い出せよ! 原因は、あの日、尾道で、約束を破っておばあちゃんに会ったからじゃないか。後々面倒なことになるから会わないって約束したのにさ!」

「それは謝るよ。私が悪かったよ」
妻は私をなだめようとしていました。
「でもね、私は後悔してないよ。会ってよかった。おばあちゃんは喜んでくれた。あの日会わなかったら、元気な内にあなたを見せることができなくなっていたかもしれないし。確かに、順番は狂ったけど、そういうことより、大事なことが・・・」

「そこだよ!」
私は再び、声を荒らげていました。

「『もっと大切なこと』とか、『もっと大事なこと』とか、君はいつもそう言う。それは正しいかもしれない。でも、君がそれほど大切じゃないって切り捨てたことも、やっぱり大切なんだよ。それを大切にできない人間に、もっと大切なことがあるなんて、言う資格は無い!」

そして、言わなくてもよいことまで、私は、言ってしまったのでした。

「君はいつも、そういう責任を問われることから逃げてきたんだ。『もっと大事なことがある』とか、『もっと大切なことがある』とか言って。そういうことを言う前に、果たすべき責任があるのに。だから、逃げずにそこに留まって戦わなきゃならない者のことが分からない。それがどれだけ大変かを理解もせずに。自分はもっと大切なことを見ているとか言えるんだ。分かってる? 尻拭いをしているのはこっちだ。お願いだからさ。逃げずに向き合えってくれよ。俺にばっかり、尻拭いをさせないでくれよ!」

あの時の私は、続けて「あの時も」、「この時も」と妻詰ったのでした。

特に、妻が少し前に、業務上のトラブルを理由にあっさり仕事を辞めてしまったことを、私は責めました。
「あれだって、君は、逃げたんだ」と。そして、「簡単に辞めないで、もっと踏ん張って欲しかった。そうしてくれなくて、俺は本当はガッカリしていたんだ」とまで言って。

 ※

妻の名誉のために言わなければなりません。
妻は「これ!」と決めた道を、簡単に諦めたりする人ではありませんでした。

以前も書いた通り、私と出会う前、妻はメジャー誌に作品を載せるプロの漫画家でした。
それは、簡単になれる職業ではありません。
アシスタント生活の中で自分の作品を描き、持ち込みを繰り返し、7年かけてプロの漫画家としてデビューした妻は、間違いなく執念の人です。
最終的に、漫画の夢を諦めることになりましたが、その決断に至るまでは、修行時代から数えて10年以上の年月がありました。
粘りに粘って、それでもダメだとわかった末の悔しい決断した。

漫画を捨てて、新しい何かを模索する中で妻が見つけたのは、空手とイタリア語でしたが、どちらも根気強く続けていました。
特に空手は、当時は“皆勤賞”で稽古し、実力をつけていました。師範からも、指導の一部を任されるようになっていた程でした。

しかし、一方で、「これ!」と思っていないことには、驚く程、淡白な妻でもありました。
当時であれば、仕事がそうです。
仕事は、妻にとって漫画に代わる何かには、成り得ませんでした。
何の拘りも情熱もなく、ただ生活の糧を得るためにしていた仕事は、妻にとって、面倒になったら辞めてしまうものに過ぎませんでした。
そのことに、仕事に価値を置いていた私は驚き、残念に思っていました。

いや、残念に思っていたという言葉は正確ではありません。
「それでは困る」と、私は思っていたのです。

ある理由から。

考えてみれば、私の中に芽生えていたその思いこそが、埋もれた爆弾だったのです。

妻は、そのことを見抜いていました。

 ※

妻は、目に涙を溜めていました。

「あなたがそう思っているのは、わかっていたよ。まさか、こんな風に言う人だとは思っていなかったけど」

そう言いながら、妻は、とても冷たい目で、私を見ていました。
彼女にそんな目で見られたのは、後にも先にも一度もありませんでした。

「涙は出るけど、悲しくは無い。情けないと思うだけ」
まくし立てていた私とは対照的に、妻は静かでした。
「あなたは、今日いきなりじゃなくて、ちょっとずつ変わってきていた。わかってたよ。あなたが宇都宮の両親のところに行って、私のことを話した時から、あなたは変わっていったって。」

それは、私にとって予想もしない妻の言葉でした。
しかし、その内容は、図星でした。

「親に反対されたんでしょ? それも、相当強く。漫画家崩れで、学校もちゃんと出ていない、定職にもついていないような女と結婚したいなんて、お前、バカじゃないか、とか言われたんでしょ? それでうろたえて、なんとか私にちゃんとさせようとジタバタしているんでしょ? そんなのわかってるよ。でも、それだって、たかが親の反対じゃない。なんで、そんなにうろたえる必要があるの?」



妻の言っていたことは、言葉通りに正確だったわけではありません。
しかし、一ヶ月前、結婚したいと思う女性がいることを自分の親に伝えた時、その反応が、とてもネガティブだったのは事実です。

父は「お前はもっとよく考えるべきだ」とだけ言い、それ以上、話を聞こうとしませんでした。
それは、息子の考えに強く反対し、何があろうと考え直せる時の父の典型的な反応でした。
そして、反応の理由は、使っている言葉は別としても、論旨は妻が指摘したものでした。

私は、妻に、そんな自分の親の反応を伝えませんでした。
実家から戻った時、私は、「もう少し、“地ならし”が要るな」とだけ報告。そして、「片方の両親と会って、先にどんどん関係が深まっていくのも、なんだか変だし」と、妻の両親に会いにいくタイミングも遅らせることにしたのでした。

当時の私にとって、親、とくに父親が反対しているという事実は、とてつもなく重いことでした。

息子の私が言うのもおかしな話ですが、父は、一種のカリスマでした。
社会的にも成功し、狭い世界ながらたくさんの表彰を受け、地位も頂点を極め、メディアにも革命児として取り上げられ、しかも全国に多くの信奉者がいました。

先を見通す力と、周囲の人々を心酔させ統率していく力において、父は傑出したものを持っていました。傑物と言ってよいと思います。

しかし、その能力と人を動かす影響力は、家庭内の父親としては、あまりに威圧的なものでした。

その頃、父が本気で反対した時、私がそれを覆せたこたは、一度もありません。
(結果的にですが、妻との結婚を認めさせたことが、最初の一回目となりました)
そして困ったことに、妻との結婚に対する当時の父の態度は、物腰は柔らかいものの、明らかに「本気の反対」だったのです。

もう少し、“地ならし”が要る?
我ながら、中身の無い誤魔化しの言葉をよくも思いついたものです。

そんな言葉で状況を誤魔化しつつ、その実私は、父の反対を覆す方法も思い付かず、強引に押し切る勇気も湧き上がらず、思考停止状態になっていました。

それが、2006年5月の私の偽らざる情けない姿でした。

 ※

「情けないよ」

そう、妻は言いました。

「あなたの親も、私も親も、相手に会ってもいない。話だけ聞いて、勝手に想像を膨らませているだけでしょ。だったら、『会えば分かってくれるよ』と自信を持ってほしい。そう思ってくれないことが情けない。うろたえないで。しっかりしてよ!」

いま、こうして思い出しながら、書きながら思います。
あの時の妻の言葉は、私を責めたというより、むしろ激励していたのもしれません。

しかし、その時の私には、そうは思えませんでした。

たかが親に反対されたくらいで狼狽する「情けない」男。それは自分自身が一番恥じて認めたくなかった自分の姿です。
人は頑なになり、そして反発します。指摘されたことが、図星であればあるほど。

「簡単に言うなよ! 全部俺に押し付けておいて。俺の親のことも、君の親のことも、全部俺任せじゃないか。先週の君のお父さんへの説明だって、あんなの全然説明になっていない。だから、俺が頑張らなきゃならない。全部、俺に任せ切りだ。そんな無責任な立場で、よくも言葉だけ、『会えば分かってくれるよ』だなんて言えるもんだ」

「任せきりにはしない。明日は私の方からも、もっとちゃんと説明する。 あなたが私の親に会いに行くように、私もあなたの親に試される。そんなの当たり前でしょ?」

「それが全然、頼れないからこんな風になっているんだろ!」

「じゃあ、私はどうすればいいの? 私は今から勉強して立派な大学に入ればいいの? 名前の知られた大会社に就職すればいいの? あなたの親に認めてもらうために?」

「そんなことは言ってない! 」

「言ってるでしょ。私がそうでもしないと、親に認めてもらえないと思っているでしょ? そう思っているなら、かっこつけていないで、言えばいいのに。」
そして、妻はもう一度、「情けない。」と言いました。

「そんなことは言われたくない」

「言われたくなくても、事実でしょ。私のことも信じてくれない、自分のことも信じられない。形や条件を揃えることばかり考えて。そういうのを、情けないって言うのよ」

「もういい。言いたいだけ言えよ。中身のない言葉を。俺だって、わかっていたんだ、こうなることは。」

私はそう言いながら、もうダメだ、と思いました。
一呼吸し、「もういいよ。じゃあな」とだけ言って、私は、妻に背を向けました。

こんなことをしてはいけない、という心の声は、頭の中で響くもっと大きな、もう無理だ、最悪だ、いや最初からこうなるとわかっていたんだ、という唸り声にかき消されていました。

私はそのまま歩き出し、階を下り、建物を出て、表の通りに出ていました。
そして、早足で駅に向かって、止まらず歩き続けました。

私は振り返りませんでした。
妻も追いかけてきませんでした。

(続きます)
5.激昂と消沈

※  ※ ※

今回は、書いていて辛くなりました。
こんな辛い思いまでして、10年前のこととは言え、自分と妻の恥を晒するなんて、なんとバカなことをしているのだろう、とも思います。

でも、バカなことだけれど、書いておきたいと思いました。
私の視線からの一面的な思い出ですが、妻が私と一緒に真剣に生きてくれたことの証として。
それに、最後は“ハッピーエンド”。
書いていて辛くなりましたが、これはその“ハッピーエンド”に至るための過程なのですから。

銀座
(銀座、和光と三越百貨店) ※著作権フリー写真

 

 

<<各章ご案内 (完結後に追記しました)>>

1.はじまりは、一本の電話
日曜日の夜、突然かかってきた電話から物語ははじまります。

2.失敗は坂の街・尾道で
電話の原因は、坂の街・尾道での失敗。

3.何よりも大切なこと 【前編】 【後編】
会わないはずだったその人に、妻は会おうと言いました。

4.銀座の大喧嘩
その人に会ったことが、空前絶後の大喧嘩を引き起こします。

5.激昂と消沈 【前編】 【中編】 【後編】
銀座での大喧嘩の顛末。私は、本当の原因にたどり着きます。

6.「もういい」
空手女子、怒る。

7.“てんぷら”の煮物
それは妻の得意料理でした。

8.裾野へ 【前編】 【後編】
いよいよ、裾野に乗り込みます。

9.デベラと富士山
最初に会った妻の家族は、義母でした。

10.ネクタイと曇り富士
ついに義父との対面へ

11.作戦会議
妻の妹(三女)さんに相談。それは意外な流れに・・・

12.「富士は裾野」と知った日のこと 【前編】 【後編】
そして義父に全てを語ります。

13.代官山で語る富士 【前編】 【中編】 【後編】
立つ瀬なく追い込まれた、妻の妹(次女)さんとのやり取り。
最後に、私自身の父との戦いの結末。