埼玉県はさいたま市岩槻(旧称「岩付」)の戦国武将・太田資正の生涯を追う、シリーズ「太田資正のこと」。

今回は、(タイトルは変えましたが)次男・政景の元服式当日の第四節。
列席した関東各地の領主らが祝いの挨拶に訪れる場面に入っていきます。

3年後、長尾景虎(上杉謙信)が越山・関東入りに及ぶと、関東の諸公らは長尾景虎側と北条側に別れて激しく争い合うことになります。この関東争乱の主要プレイヤーについて、前回に続いて事前説明をすることが、本節の狙いです。

■前稿→太田資正のこと ~28.元服式(三)
■目次→太田資正のこと ~序~

※ ※ ※

北条一族や宿老達の次ぎに、資正の前に現れたのは、懐かしい男であった。

「成繁殿、、、」
資正は思わず、口を開いた。

男は、上野国高林の領主、横瀬成繁であった。
直に会うのは十年ぶりである。

成繁は真面目な顔を崩さず、深く礼をした。
「太田美濃守殿、此度は御子息梶原源太政景殿の元服ならびに公方様の奉公衆入り、真にめでたいこと。お祝い申し上げます。」
そして、礼を終えると、顔に笑みを浮かべた。

変わらぬ飄々した風貌を目にし、資正は、瞬時、十年前の記憶に包まれた。



資正にとって、横瀬成繁は恩人であった。
十年前の河越合戦の敗北の後、全てを失った資正にただ一人門を開き、匿ったのが成繁だった。

十年前の河越合戦の大敗は、資正から全てを奪った。主家・扇谷上杉家は滅亡し、義父である難波田善銀は戦場で横死、そして居城の松山城は奪われた。
資正は一夜にして、人生の全てを失った。
資正の唯一の肉親である兄の太田資顕は、依然、岩付城(岩槻城)の城主として健在であったが、河越合戦の直前に北条氏に寝返っており、資正とは絶縁状態であった。

そんな頼る者の一切を失った資正に、手を差しのべたのが、横瀬成繁であった。

元から扇谷上杉家に仕える資正と、山内上杉家に仕える成繁は、浅からぬ縁があったが、それは上野国の他の領主とて同じであった。

河越合戦の後、上野国の領主らは更なる北条氏の北進を恐れて城に籠り、息を潜めた。
本来であれば、上野国の各領主らの直接の主君である関東管領・山内上杉憲政が、この混乱を鎮める努力をすべきところであった。しかし、実情は、憲政自身が恐怖に取り付かれ、居城である平井城に逃げ込み、城門を固く閉ざすことしかできなかったのだ。

指揮をすべき関東管領自身が、平井の一領主と成り下がり、己の命を守ることだけに必死になれば、恐怖は一帯を覆う。野国各地の領主らは、それぞれが己か領地を守ることしか考えられぬ状態となった。
北条氏から追われる落武者である資正を敢えて匿おうとする者は、なかった。

そうした中、ただ一人、横瀬成繁だけが城門を開き、資正を迎え入れたのだった。

かの新田義貞の築城との伝説もある成繁の居城・新田金山城は、難攻不落と知られる堅い山城である。この城に迎え入れられた時、資正は、「助かった」と安堵した。数日ぶりの安堵に、気を失うかと思うほどだった。

 ※

横瀬成繁の助力はそれだけではなかった。

ひと月もしない内に精力を取り戻した資正は、奪われた居城、松山城(武州松山城)を奪還したいと言い出した。「兵を貸してほしい」と願い出た資正に対して、成繁は「否」とは言わなかった。

資正が、ともに生き延びた太田下野守の手勢と、成繁から借り受けた兵力を用いて、見事松山城の奪還を果たしたことは、以前に書いた通りである。

その資正は、結果的に、ではあったが、岩付城をも手にしようと遠征した隙に、北条氏康の鳥略によって松山城を失う。しかし、松山城を失した代わりに岩付城をものにした。そして今日まで岩付領の領主としての地位を維持していた。

上野国高林領主の横瀬成繁の存在無くして、岩付領主、あるいは、岩付城主としての太田資正の存在は無い。そう言っても過言ではないほど、成繁の存在は大きなものだった。

無論、成繁とて慈善家ではない。
元は新田一族の岩松家に仕える家宰の身でありながら、父の代に下剋上で領地と城を乗っ取った血筋である。資正を助けたのも、いずれ資正は役に立つとの打算によるものだったと見ることも可能である。

しかし恩を受けた資正にとってはそれはどうでもよいことであった。受けた恩は返さねばならぬ。資正にとって成繁はそう思う相手であった。

ところで、恩を返すことになる前に、かつて反北条側にいた資正も、成繁も、今は共に北条氏服属の他国衆となっていた。資正としては、それが少し歯がゆかった。



笑みを浮かべていた成繁であったが、去る間際に再び真顔になる。そして資正の目を一瞬、鋭く見詰めると、また元の座に戻った。

「話したいことがある」と、言っている目であった。

この日の夜、資正は、成繁からの告げられる話に、大きく心を揺さぶられることになる。
しかし、そのことを資正はまだ、知らない。

■次稿→太田資正のこと ~30.関東の領主たち(二)
■前稿→太田資正のこと ~28.元服式(三)
■目次→太田資正のこと ~序~

【関連1】
謙信の越山前夜 弘治3年(1557年)の世界 (3)
謙信の越山前夜 弘治3年(1557年)の世界 (2)
謙信の越山前夜 弘治3年(1557年)の世界 (1)
謙信の越山前夜 弘治3年(1557年)の世界 (0)

【関連2】
河越合戦当時の新田金山城を巡る周辺情勢


新田金山城の地形


【関連3】
新田金山城をちょこっと歩く