埼玉県はさいたま市岩槻(旧称「岩付」)の戦国武将・太田資正の生涯を追う「太田資正のこと」。

サボりながらの作文ですが、いつの間にか回数は26回を数えました。
自己満足の駄文にも関わらず、アクセス解析を見ると、読んで下さっている方が意外にいらっしゃる(!)。
ありがたいこと。励みになります。

さて、今回も、前回、前々回、前々々回に引き続き、弘治3年の梶原政景(資正の次男)の元服式を描いてみようと考えています。

前々々回は葛西城への到着、前々回は北条氏康との再会、前回は嫡男・太田氏資の粗相、と、進めてきましたが、いずれも時系列としては元服式前日・前夜のこと。

今回から、(やっと)元服式当日に入ります。

また、今回から一回でアップする文章量を少なくしてみようと思います。全て手探り。試行錯誤です。

■前稿→太田資正のこと ~25.葛西城にて(三)~
■目次→太田資正のこと ~序~

※※※

昨夜の資正の心の曇りをよそに、翌日は晴天であった。
資正らが泊まった間の廊下からは、遥か西に江戸城の楼閣が微かに見えるほどであった。

「父上 、江戸城も見えますな」
氏資が言う。昨夜からの高揚はまだ続いているようだった。

資正は、頷きつつも、複雑な気分であった。

昨夜、北条氏康に会えた悦びに震えていたこの氏資の目には、太田一族英傑・太田道灌が築いた江戸城は、どう映るのだろうか。
一族の城を北条氏の拠点とされていることの忸怩たる想い。資正は言わずとも息子達もその想い共にしていると信じていた。
しかし、それが己の思い込みに過ぎなかったことは、昨夜思い知らされた。

氏資は、北条の世を是として受け入れて、その世を支える忠実な国衆として、生きていこうとしていた。
いつかは再び氏康と刃を交えると考えている資正とは、違う世界に住んでいるも同然と言えた。

(まさか、このようなことになるとはな)

正装に着替える息子たちを見ながら、資正は、己の十年を顧みる。

いつか機が訪れれば、再び太田家の桔梗紋の旗を掲げて、北条氏康との刃を交える。今は爪を隠し、忠実なる国衆としての擬態を貫いて、力を蓄える。それが、北条氏に服属する十年を過ごしながらの資正の胸中であった。
しかし、息子たちに直にそれをに語ったことはない。家臣たちにも、ごくわずかな者達を除けば、最近は語らなくなっていた。

永き擬態はいつしか味方をも欺いていたのだ。

いや、あるいは自分自身も、北条氏に従うことを擬態であると己に言い聞かせつつ、どこかで本気ではなくなっていたかもしれない。
そうでなければ、顕に語らずとも、氏資も資正の気迫を感じたはずではないか。

氏資は責められない。
責めるべきは、心のいつしか曖昧にして十年を過ごした儂の方か。
資正は、そうした想いに次第に包まれていた。

しかし、それは今考えても詮ないことあった。
資正は、心の彷徨を止め、そして蓋をした。

今日は、政景の元服を見届ける。そのことだけを考えればよい。

そこへ城の者が現れ、元服式の用意が整ったと告げた。元服式に参席する関東の諸公らやその代理の家臣たちも、みな到着したとのことであった。

資正親子三人は、立ち上がって間を後にした。

※※※

資正親子が広間に入ると、そこには既に、多くの男たちが犇めいていた。

北面は、関東公方・足利義氏が座る上座としてまだ空けられていたが、西面には北条一族とその家臣らが着座し、南面には関東各地の諸公らの使いが数列に重なって座っている。三十名ほどはいるだろうか。

一人だけ女性もいた。
政景か養子に入る梶原家の後室、先の梶原上野介の細君であった。

(よくぞこれだけ集めたものよ)
資正は内心苦笑する。

武蔵国の数分の一程度の広さに過ぎぬ岩付領を統べる資正の次男の元服式に、普通はこれだけの参席者が諸国から集うなど考えられない。
この元服式に特別な意味を込めた、北条氏康の思惑があってこそのこの参席者の数であった。

甥である新公方・義氏の権威付け。
それが北条氏康の狙いであった。

いまや関東有数の領主であり、かつては北条氏に刃向かった男である太田資正。その資正が己の息子を差し出す姿を諸公やその家臣に見せることで、新公方の権威を高める。そして、その叔父である氏康自身の権力の強大さを、まだ北条氏に従わぬ北関東の諸公に認めさせる。

政景の元服式は、そうした氏康の政治的思惑の下に、重要な儀式とされたのだった。

むろん、資正には資正の思惑がある。ただ北条氏の天下のために息子を差し出すわけではない。
しかし、この場は、氏康の采配の通りに振る舞うことになる。

資正は、傍らの政景に小声で告げた。
「舞台に不足無し。堂々と振る舞ってこい」

政景は静かに頷く。
齢九歳、数え年十歳にして、驚く程の胆の座りようである。

資正は、そんな政景の胆力を嬉しく思った。

「公方様の御成りです」
城の者が広間の入り口でそう継げる。

広間にいた者たちは、一様に頭を下げた。

■次稿→太田資正のこと ~27.元服式(二)~
■前稿→太田資正のこと ~25.葛西城にて(三)~
■目次→太田資正のこと ~序~

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【葛西城関係図】

葛西城の位置

葛西城の位置