昭和恐慌の研究/東洋経済新報社

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数年前(2009年頃?)に買って以来、事実上“積ん読”状態になっていた「昭和恐慌の研究」を読んでみました。

岩田氏自身による総括である「終章」を読み、関連箇所を遡って読むつまみ読みでしたが、かえって前半の個々の研究論文の分量に埋没することなく要点を押さえられました。

読んでみて驚いたのは、最近私が読むようになった浜田宏一や高橋洋一らのリフレ派によるデフレ派批判のポイントが、全て2003年出版のこの本で網羅されていたことです。

2012年2月の日銀「インフレ目途」の犯罪的な中途半端さは、浜田宏一氏が厳しく批判していましたが、本書が明らかにする昭和恐慌、世界大恐慌が日銀やFedの芝居がかったレジームチェンジ(デフレ→インフレ)によってはじめて克服された事実によって強く支持されます。

浜田氏がナンセンスと断じた「すでに金融緩和によってマネーはジャブジャブ状態なのに投資は進まない。よい投資先が無いのだからこれ以上の緩和は無意味」という意見(直近では大前研一が騒がしく論じています)が、昭和恐慌を克服した高橋財政期の初期にも繰り返し新聞・雑誌によって報じられていたことにも驚きました。
昭和恐慌の歴史が示す答えは、デフレ期待下ではマネー供給をしても投資支出は増えない、インフレ期待があってはじめてマネーが投資支出に向かう、というもの。
高橋財政は失敗するぞ、と悲観論をまくし立てた当時の新聞・雑誌が、景気回復の実感の中で次第に(反省も無く)主張を引っ込めていく様子は、マスコミの世論誘導の恐ろしさを感じさせます。

とても興味深かったのは、昭和恐慌の回復期に、銀行からの貸し出し増が無かった、という事実。昭和恐慌回復期の投資支出の激増は、デフレ期待下で企業が内部留保していたマネーが、インフレ期待に直面して吐き出さざるを得ないことによってなされたというのです。

「既にマネーはジャブジャブだ。これ以上緩和してもマネーは銀行内に積み上がるだけで市中には流れない」という批判は、半分は当たっているだけに厄介ですね。

大切なのは、マネーを投資支出に流し込む、インフレ期待という“傾斜”を作ること。この傾斜を生むためのマネー供給を、傾斜が無かった時代にジャブジャブマネーが投資支出に向かわなかったことを根拠に叩くのは全くのナンセンス。
しかし、インフレ期待という傾斜が生じても、直ぐには銀行からマネーが流れ出さないこともまた事実。
この事実を「故にインフレ目標は無意味」と短絡させてはいけないことが、昭和恐慌の歴史が教えてくれます。

アベノミクスに対する大手新聞からの定番批判「インフレ目標で物価だけが上がり、給料が上がらない状況が生まれる。サラリーマンは貧しくなり、得をするのは資本家ばかり」もまた、昭和恐慌期に盛んになされていたことを本書で知りました。

昭和恐慌を克服した高橋財政の結末は、上の批判が誤りであったことを示しています。

もちろん、今回も昭和恐慌と同じ結末を迎えるとは限りませんが、少なくとも「インフレ目標によって物価だけ上昇し給料が上がらないサラリーマンは困窮する」が、歴史的には起こらなかったことを、新聞・雑誌は報じるべきでしょうね。

最後にもう1つ。
リフレ派の岩田氏が本書において論敵としているのが、まだ日銀総裁になる前の白川氏だったことも今回初めて知りました。
白川氏は、当時からデフレを放置する日銀金融政策の守護神のような存在だったのですね。

日銀総裁人事でゴネにゴネ、こうした人物を日銀総裁につけたのが民主党。当時はよく理解できていませんでしたが、あの日銀総裁人事は、デフレ堅持人事だったんですね…。

2003年に出された本書は、当時賞を受けるなどして持て囃されたそうですが、実際にはどれだけ広く読まれたことか。

本書に出てくる言葉ですが、専門知の要る財政金融政策を、世間知レベルで動かしてしまうマスコミ主導民主主義の危険性を思い知らされます。

希望を感じたのは、アベノミクスが本書の提言そのままの施策を打ち出していること。

「物価が下がるのはありがたい」という世間知が、20年にわたる緩やかなデフレ経済の苦しみに直面し、やっと変わろうとしているのかもしれません。