先の夏の総選挙の際の民主党の「政権交代」スローガンや、今日(昨日)の鳩山総理の国会答弁を聞いて、思わず連想してしまったのは、遠く4世紀に古代ローマ帝国で行われたキリスト教をめぐる論争でした。

元来多神教を奉じる習慣のあったローマ帝国も、既にキリスト教が認められ、さらには国教化が目指されていた時代。キリスト教勢力が、伝統的な多神教排斥への最後の一撃と企てたのは、ローマ建国の昔から維持された元老院前の「勝利の女神」の撤去。これを巡り、伝統を守ろうとする守旧派知識人、首都長官のシンマクスと、攻めるキリスト教側の司教アンブロシウスの論戦が巻き起こります。

この論争、私は塩野七生の「ローマ人の物語14 キリストの勝利」でダイジェストを読みました。それは、まさに今回の政権交代をめぐる自民党と民主党の議論を彷彿とさせるものでした。

構図は、ローマの栄光とそれとともにあった伝統の価値を語る守旧派シンマクス、それに対して「その伝統を守った結果が今のローマの衰退ぶりではないか」と攻める革新派アンブロシウス。シンマクスがどれほどローマ史を支えた伝統の力を語ろうとも、アンブロシウスが、その伝統にすがったことでますますローマは衰退したではないかと返すだけで、論争はアンブロシウスに凱歌が上がります。
アンブロシウスが、未だスタートしたばかりのキリスト教主導のローマ支配の理想を自信満々に語る時、手垢の付いた伝統は、神気を失ったひび割れた偶像に化してしまうのです。

「なぜ、シンマクスは、ローマの昔の偉大さばかりに話を向けるのか。(中略)蛮族侵入に苦しまされた皇帝たちは彼らが古来の古来の神々をないがしろにしたから、苦しんだとでも言いたいのか。その一人であるヴァレリアヌスは敵ペルシアで捕囚の身に堕ち、もう一人のカリエヌス帝は帝国を粉々にしてしまった。あの不幸な日々、元老院議場の勝利の女神は何をしていたのか(キリストの勝利、p.283)

「キリストの教会にとっての収穫は、喜びに満ちた希望によってもたらされるものであり、それは聖者たちが春を謳歌する時代の始まりであり、そしてこの喜びは、いずれ全世界のすべての民の間に広まっていくに違いないのです(キリストの勝利、p.284)

# 下線は引用者(はみ唐)が付けました。象徴的な箇所です。

塩野七生は、この論争を圧勝したアンブロシウスの戦術眼と彼を選んだキリスト教徒達の鑑識眼を讃えながらも、一言添えています。

ただし、強引な論法と、しばしばスタートしたばかりでいまだマイナス面が明らかでないからこそ、可能で有効な戦術でもあるのだが

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ローマ帝国のキリスト教国教化を成功と捉えるか、失敗と捉えるかは、難しいところです。


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