「環境戦略」という言葉、数年前からよく使われていますが、実際のところ、定義も事例も極めて曖昧です。

そして曖昧なまま、「環境戦略を立てたい」「中核人材に環境戦略を教育してほしい」という要望がやってきます。

厳しい言い方をすれば、そうした要望にきちんと応えているケースは、世間ではまだ少ないと感じます。

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環境戦略の定義づけやケーススタディの難しさは、企業が本音や内幕を見せない点にあります。
経営戦略、事業戦略であれば、成功した後に「実は・・・」と、“してやったり”の内幕や狙いの公開があります。したたかな狙いと、それを実現するための適切なアクション群の選定と実行ができたことは、その企業の有望性の証。狙いがあざとくても、それは賞賛の対象になります。

一方で環境戦略は異なります。「環境」というテーマの“善意性”のため、またそうしたテーマの性質を利用した戦略であるため、その裏に隠れた企業のしたたかな狙いと勝算は、普通、表には出てこないのです。

出てくる情報は、「こんな努力をしている」「あんな立派なこともしている」と“善意性”のコンテクストに載せた表面的な情報のみ。

「環境戦略」をタイトルに掲げた記事、書籍、セミナーは、大方そんなところです。金を取っておいてこの浅さか、とガッカリした経験は数知れません。

企業の環境経営コンサルをしている人間に言わせれば、あれでは思考停止。
まずは「あの企業は、なぜ環境にそこまで金と人材を使えるのか?」と疑問を持つこと。その答えとなりそうな仮説を立て、そしてその企業に関わる市場環境や業績の実態を洗って仮説を検証していくのが当然の作業です。こうやってみると、経済合理性に合致した彼らの本当の狙いと勝算(ケースごとに異なります)が見えてきます。

しかし、従来「環境」畑に来る人々は、発想の根底に“善意”や“義務”“責任”という概念が根を張っているため、なかなかそうした分析をしないのです。

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とはいえ、そうした状況も、最近の環境戦略モノの要望の急増によって少なくとも、うちのチームについては少しずつ変わってきたように感じます。

これまで“善意”“義務”“責任”のコンテクストで環境指導や研修をしてきた先輩たちが、環境戦略案件を負うようになり、発言が随分変わってきました。

先日、“善意”と“責任”コンテクストでのコンサルを続けてきた先輩が、「あの環境取り組みの戦略的な裏側は何かな」と何気なく口にしていたのが、印象的でした。

5年前と比べたら まさに隔世の感。
チーム名の通り「環境戦略」を柱にした組織に変わりつつあるのを感じて嬉しく思いました。