書きかけだった「摩文仁賢和の型理論
」の続きです。
前回紹介したのは、摩文仁賢和の次の言葉。
「平安一段から五段までの最初の動作は、
いずれも正面からの敵の攻撃を自分の体をかわすことによって
最も効果的な防御姿勢となり得るものであって、
左にも右にも同じように体をかわし得るものだぞ、
と云うことを訓えるものと解するのであります。」
(「攻防拳法空手道入門」(1938年)、p139)
空手の形にある左右への受けの動作は、左右から攻撃してくる相手への受け、と思い込んでいた私にはなかなかの衝撃。
そういう教えって、今まで受けたことがありませんでした。
そしてこの本で摩文仁賢和が例で示しているのは、
平安二段の回し鉄槌。↓の挙動です。
左足を踏み出して左追い突き。
演武の画像の出所は↓こちら
http://www.youtube.com/watch?v=vE0lAyVMkDI
<摩文仁先生の解釈>
(「攻防拳法空手道入門」(1938年)、p140)
摩文仁先生の解釈は2つ紹介されていますが、
活目させられたのは上図の青丸。右回し鉄槌の用法です。
相手(右)が右正拳の追い突きにきたところを、
自分(左)は左足を引いて猫足立ちになって、
右回し鉄槌で相手の右正拳突きを外から受け、
相手のアウトサイドに立って、
反撃の左正拳突きを相手の脇下に決めています。
一般的な平安の形分解では、相手のインサイドに立った受けの解釈がよく見れます。(下の画像は平安4段ですが、左右の敵にインサイドの受けを繰り返しています)
しかし、摩文仁先生は、左右への受けを共に正面からの敵への転身+受けと考えることで、左右⇒一方はインサイドの受け、他方はアウトサイドの受け、と解釈しているのです。(上の引用した図の青丸でない方の分解がインサイドの受けです。)
このアウトサイドの受けを見て思い出したのが、下に示すような芦原空手の受け。
(1)左自然体(組手立ち)
(2)正面から右拳の突きを繰り出してくる相手に対し、
左足を軸に時計回りに右足を回して転身し、
(3)次いで左足を大きく引いて右自然体となって、
相手の右腕のアウトサイドに回りこんで、
(4)右手で相手の右腕を押さえて受け完成。
画像の出所は↓こちら
http://www.youtube.com/watch?v=tD7zWdMCj7E&mode=related&search=
踏み込みながら右の正拳で突いて来る相手に対して、
アウトサイドに立って右手の受けを決める点で、
摩文仁先生の平安解釈と芦原空手の受けはよく似ています。
もちろん、単に左足を引くだけの摩文仁先生の解釈に比べ、上の芦原空手の受けは、(受けが決まった形が同じであるものの)足運びがより複雑です。
しかし、平安二段の右回し鉄槌が、元々は左足を軸とした時計回りの転身であることを考えると、上の摩文仁解釈は右回し鉄槌の解釈の第一歩であり、その延長線上に芦原空手の受けがあると考えてもよいように思います。(芦原英幸がこうした摩文仁風の形解釈を参考にしたとは思いませんが)
それに、摩文仁先生は、形の解釈・応用についてこう語っています。
「右の様にしておぼえただけの材料を色々に変化させて考えていくことが即ち研究であります。その技法が良いか或いは拙劣であるかは、自分自身で研究が深まつて行くに従って判断が出来るようになりますから、これで良いと満足してしまはずに、絶えず研究を続けていかなければなりません。」
(「攻防拳法空手道入門」(1938年)、p146)
摩文仁先生が芦原空手を見たら、「平安を良く研究されましたな」と仰られるのではないでしょうか。
* * *
摩文仁先生の「攻防拳法空手道入門」を読んでいて印象的なのは、伝統的な形を大切に受け継ぎながらも、その型通りの動きを神格化するのではなく、自由に発展的な攻防を自ら編み出していくことを推奨する柔軟性です。この柔軟性を持って見れば、芦原英幸の「サバキ」も、実はそのヒントは平安二段として、空手を習う全ての人間の目の前にぶら下げられていたのかもしれません。
あるいは、摩文仁先生が残した形の型通りの動きでだけでなく、その柔軟な研究姿勢も受け継がれていたら、空手の技術の進歩はもっと早く深かったのではないか、そんなことを妄想してしまいました。
# 書きたかったことを書いてスッキリ。今日もこれから休日出勤です。
■□■□■□■□■□
<2008年3月8日追記>
その後、ビアモンティの動きに、ここに紹介した型分解の解釈に近いものを見つけたので、紹介しました。
⇒「ビアモンティが体現する平安五段の型分解?」
http://ameblo.jp/hamikara/entry-10074177012.html
前回紹介したのは、摩文仁賢和の次の言葉。
「平安一段から五段までの最初の動作は、
いずれも正面からの敵の攻撃を自分の体をかわすことによって
最も効果的な防御姿勢となり得るものであって、
左にも右にも同じように体をかわし得るものだぞ、
と云うことを訓えるものと解するのであります。」
(「攻防拳法空手道入門」(1938年)、p139)
空手の形にある左右への受けの動作は、左右から攻撃してくる相手への受け、と思い込んでいた私にはなかなかの衝撃。
そういう教えって、今まで受けたことがありませんでした。
そしてこの本で摩文仁賢和が例で示しているのは、
平安二段の回し鉄槌。↓の挙動です。
左足を踏み出して左追い突き。
演武の画像の出所は↓こちら
http://www.youtube.com/watch?v=vE0lAyVMkDI
<摩文仁先生の解釈>
![分解拡大](https://stat.ameba.jp/user_images/97/23/10018699474_s.jpg?caw=800)
(「攻防拳法空手道入門」(1938年)、p140)
摩文仁先生の解釈は2つ紹介されていますが、
活目させられたのは上図の青丸。右回し鉄槌の用法です。
相手(右)が右正拳の追い突きにきたところを、
自分(左)は左足を引いて猫足立ちになって、
右回し鉄槌で相手の右正拳突きを外から受け、
相手のアウトサイドに立って、
反撃の左正拳突きを相手の脇下に決めています。
一般的な平安の形分解では、相手のインサイドに立った受けの解釈がよく見れます。(下の画像は平安4段ですが、左右の敵にインサイドの受けを繰り返しています)
しかし、摩文仁先生は、左右への受けを共に正面からの敵への転身+受けと考えることで、左右⇒一方はインサイドの受け、他方はアウトサイドの受け、と解釈しているのです。(上の引用した図の青丸でない方の分解がインサイドの受けです。)
このアウトサイドの受けを見て思い出したのが、下に示すような芦原空手の受け。
(1)左自然体(組手立ち)
![芦原奥手受け1](https://stat.ameba.jp/user_images/2d/2b/10018696958_s.jpg?caw=800)
(2)正面から右拳の突きを繰り出してくる相手に対し、
左足を軸に時計回りに右足を回して転身し、
![芦原奥手受け2](https://stat.ameba.jp/user_images/d8/12/10018696959_s.jpg?caw=800)
(3)次いで左足を大きく引いて右自然体となって、
相手の右腕のアウトサイドに回りこんで、
![芦原奥手受け3](https://stat.ameba.jp/user_images/b4/27/10018696960_s.jpg?caw=800)
(4)右手で相手の右腕を押さえて受け完成。
![芦原奥手受け4](https://stat.ameba.jp/user_images/3f/96/10018696961_s.jpg?caw=800)
http://www.youtube.com/watch?v=tD7zWdMCj7E&mode=related&search=
踏み込みながら右の正拳で突いて来る相手に対して、
アウトサイドに立って右手の受けを決める点で、
摩文仁先生の平安解釈と芦原空手の受けはよく似ています。
もちろん、単に左足を引くだけの摩文仁先生の解釈に比べ、上の芦原空手の受けは、(受けが決まった形が同じであるものの)足運びがより複雑です。
しかし、平安二段の右回し鉄槌が、元々は左足を軸とした時計回りの転身であることを考えると、上の摩文仁解釈は右回し鉄槌の解釈の第一歩であり、その延長線上に芦原空手の受けがあると考えてもよいように思います。(芦原英幸がこうした摩文仁風の形解釈を参考にしたとは思いませんが)
それに、摩文仁先生は、形の解釈・応用についてこう語っています。
「右の様にしておぼえただけの材料を色々に変化させて考えていくことが即ち研究であります。その技法が良いか或いは拙劣であるかは、自分自身で研究が深まつて行くに従って判断が出来るようになりますから、これで良いと満足してしまはずに、絶えず研究を続けていかなければなりません。」
(「攻防拳法空手道入門」(1938年)、p146)
摩文仁先生が芦原空手を見たら、「平安を良く研究されましたな」と仰られるのではないでしょうか。
* * *
摩文仁先生の「攻防拳法空手道入門」を読んでいて印象的なのは、伝統的な形を大切に受け継ぎながらも、その型通りの動きを神格化するのではなく、自由に発展的な攻防を自ら編み出していくことを推奨する柔軟性です。この柔軟性を持って見れば、芦原英幸の「サバキ」も、実はそのヒントは平安二段として、空手を習う全ての人間の目の前にぶら下げられていたのかもしれません。
あるいは、摩文仁先生が残した形の型通りの動きでだけでなく、その柔軟な研究姿勢も受け継がれていたら、空手の技術の進歩はもっと早く深かったのではないか、そんなことを妄想してしまいました。
# 書きたかったことを書いてスッキリ。今日もこれから休日出勤です。
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<2008年3月8日追記>
その後、ビアモンティの動きに、ここに紹介した型分解の解釈に近いものを見つけたので、紹介しました。
⇒「ビアモンティが体現する平安五段の型分解?」
http://ameblo.jp/hamikara/entry-10074177012.html