マハルからメールが来たのを機会に、彼がいたロンドンの日々を書こうと思います。
続きです。
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2001年9月11日、テロリストにハイジャックされた民間旅客機がアメリカのWTCビルに突入したとき、はみ唐さんは、ロンドンの英語学校で午後の授業を受けていました。
突然、事務員のオジサンが教室に入ってきて先生に耳打ち。
先生は、2、3度頷いてから、生徒に向かって、
「アメリカで事件が起こっているようです。飛行機が墜落し、ペンタゴンが破壊されました。ロンドンでも同様な事件が起きるかもしれないので、今日は学校を閉鎖します。各自、うちに非難してください。」
The Pentagon was destroyed.
文法も単語もとても簡単な一文。しかし、理解のできない一文。
クラスメートがざわつく。
ペンタゴンって、アメリカ国防総省総司令部だぞ! 破壊されたってどういうことだ!
次に日には、ペンタゴンそのものは破壊されていないことが報道されましたが、この時点では、そんな悪夢のような響きの第一報がもたらされたのです。
教室を出たところで、マハルとばったり遭遇。
マハルは他のどの生徒よりも緊張した表情をしていました。
はみ唐:「ロンドンでも何が起こるかわからないから、今日はどこにも寄らずに帰ろう。」
頷くマハル。
思えば、あのとき、マハルは、アメリカで起きた大規模なテロ活動が、アラブ人たちの手によるものだと(少なくともそう報道されると)気づいていたのかもしれない・・・。
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ホームステイ先の部屋に戻り、テレビを付けBBS放送を見ると、
映画のワンシーンのようにWTCビルが崩れ落ちる映像が何度も流されていました。
テレビから何度も聞こえる、「Since Pearl Harbor ! (パールハーバー奇襲以来だ!)」というナレーション。
そして画面に現れるオサマ・ビン・ラディンという名の顔色の悪いアラブ人の表情・・・。
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次の日、食堂のマハルにはいつもの笑顔がありませんでした。
いつも彼を囲んで声をかけていたマハルのクラスメートたちもどこかよそよそしい。
隣のテーブルで、誰かが、「ビン・ラディンって何者だ?」と声を上げる。
マハルはそっちに顔を向けるでもなく口を開く。
「オサマ・ビン・ラディンはアラブでは有名人だよ。サウジアラビアの大富豪で、アフガニスタンではUSSRと戦って英雄になった。慈善活動もしているから、尊敬されている。まだ、彼がアメリカのテロをやったのかどうかは分からない。彼の名前は利用されたのかもしれない。」
ロンドンの語学学校だったので、そこにはいろいろな国籍の人々がいましたが、何人かはあからさまにマハルに敵意の視線を投げかけていました。
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授業が終わって、マハルと落ち合うと、彼は堰を切ったように語りはじめました。
マハル:「みんな、イスラム教徒やアラブ人は皆テロリストだと思い込んでいる!そうじゃない。イスラムの教えは平和だ。他の宗教にも敬意を払う。テロはイスラムの教えではない!」
はみ唐:「知っているよ。」
マハル:「いや、ほとんどの人々は分かっていない。(自分の顔を両手で持って)こういう顔をしている人間は皆テロリストに見えるんだ!」
マハルの話では、今朝の通勤の最中、何度かイギリス人の若者たちのグループから敵意の視線を向けられ、何人かは殴りかかる素振りを見せ、また何人かは唾を吐きかけるような仕種を見せたそうです。
それだけではなく、午前の授業では、マハルはスピーチ練習の一環でこう語ったといいます。
「イスラムの教えはテロを否定している。キリスト教もそうだ。ところが、キリスト教徒であるIRAがテロをしてもキリスト教徒が即ちテロリストとは思われないのに、イスラム教徒のビン・ラディンがテロをしたら、全てのイスラム教徒がテロリストだと思われる。これは偏見じゃないか!」と。
表立った賛意は得られず、気まずい空気が流れたそうです。
マハルの顔からは、昨日までの人をひきつける朗らかさは消えていました。
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学校を出て二人で並んで歩いていると、確かに感じました。
ロンドン中が、アラブ人やイスラム教徒に対して敵意を示していました。
すれ違う人々は、マハルのいかにもアラブ人顔を見ると、最初は驚きの表情を浮かべ、次に人によっては怒りの表情を浮かべ、また人によっては恐怖の表情を浮かべました。
マハルは、今日一日この雰囲気の中にいたのか・・・。
何かしたら、街中が敵に回ってたこ殴りにされそうな、ピリピリとした雰囲気・・・。
こっちが何を言おうと聞く耳を持とうとしない雰囲気でした。
ふいに近寄ってきた若者が、われわれの足元に唾を吐き、侮辱的な言葉をかけてきました。
マハルが睨むと彼はそのまま逃げ去りましたが、マハルはその瞬間何かを決めたようでした。
マハル:「決めた。次に日曜日に、ハイドパークに行ってスピーチをする。」
はみ唐:「ハイドパークでスピーチ?」
マハル:「学校で習った。ハイドパークでは、毎週日曜日、誰でもスピーチをしていいらしい。」
はみ唐:「何をスピーチするんだい?」
マハル:「アラブ人やイスラム教徒が誤解されていることを説明する。こんな状態が続いたら、フーリガンのような連中に、イスラム教徒の小さい子供や老婆のような弱い者が殺されてしまうだろう。そんな事は許さない。」
まるで特攻に赴くことを決めたようなマハルの表情。
ゾクリとするものを背中に感じました。