昨日、友人に見せてもらったウクライナ旅行の写真。
肝心なウクライナの写真よりも、途中で寄ったというウィーンの風景写真が印象的で、ふと、4年前に歩いたパリのことを思い出しました。
思ったが吉日。パリの想い出を書いてみます。
* * *
イスタンブールからロンドンまで。転職を期に次の会社に猶予をもらって実現した1ヶ月の旅も終わろうとしていた。今夜パリを発ってロンドンに。明日はヒースローから日本に飛ばなくては。
しかし・・・と思う。それにしてもなんという不運か。
オルセー美術館の近く、セーヌ川にかかるある橋の上で、ため息が何度もでた。
パリには当初興味を持っていなかった。
この旅は、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)にまつわる遺跡を見て回ることを目的にしていた。
イスタンブールで帝都コンスタンチノープルの跡を見、アテネでは東ローマ帝国以前のギリシア人たちが残した遺跡を見、ローマでは東ローマ帝国の母体となるローマ帝国の遺跡を見た。ラヴェンナとヴェネチアでは、東ローマ帝国の生み出した建築とモザイク絵画の粋を見た。
それは感動と発見の連続の道筋だった。
パリは、単にヴェネチアとロンドンをつなぐ宿泊地に過ぎないつもりだった。
「花の都が何するものぞ」
二日前、ヴェネチアからの寝台列車を降りる時までそう思っていた。しかし、バスチーユ広場まで来て、思いが変わる。なんて綺麗な街だ。
石畳の街並みなんて、ヨーロッパはどこも同じと思っていたが、それは違うと分かった。
この街は歩く者を魅了するように、道も建物も木々も配置されている。
イスタンブールとも、アテネとも、ローマとも、ヴェネチアとも、名のあるこれらの「都」と比べても、それを超える何を感じる。
早く街を歩きたい。
その気持ちを抑えてまずは宿探し。
思えばこのときから、運は離れつつあったのかもしれない。頼みにしていたホテル・インフォメーションは日曜日を理由に閉まっていた。パリのガイドブックなど持っていないから、駅員に尋ねるしかない。
困ったことに、ローマでワインを飲みすぎて所持金はかなり少ない。ドミトリー(複数のベッドがある大部屋)に泊まるしかない。
一人部屋でなくて、ドミトリーがある宿を。
なんとか英語の話せる駅員に伝えて教えてもらった先は満室だった。
思ったより親切だったスタッフが教えてくれた他のドミトリーについたときは、もう午後2時になっていた。
疲れたし、眠い。
ベッドに横になると、同じ部屋のアメリカ人たちがバタバタと身支度をしている。
はみ唐:「どうしたの?」
アメリカ人1:「すごいぞ。今日は、ルーブルもオルセーも無料で入れるって聞いたんだ。急がなきゃ」
アメリカ人2:「俺たちは今から行くけど、お前もくるか?」
はみ唐:「いや、俺はいい。疲れた。今日は寝る」
アメリカ人1:「明日はオルセー休みだぞ。それに明後日はルーブルが休みだ」
はみ唐:「じゃあ、明日はルーブルにいって、明後日はオルセーに行くよ」
アメリカ人2:「そうか、じゃあな」
どたばたと出て行くアメリカ人たち。その音が去った頃には、着替えもせずに眠り込んでしまった。
次の日から、パリを歩いた。パリは綺麗な街だった。
ナポレオン3世よ、あんた、虚栄の皇帝だったけど、すごいものを残したな。
シャンゼリゼ通りは、街を歩く楽しさを最大限に演出されている。
きれいな石畳、豊かな緑、素敵なオープンカフェ、遠くに凱旋門やオペリスク、そしてエッフェル塔。
街中にちらばる美術館、博物館。
普段は旅先で美術館や博物館にはあまり触手が動かされないが、この街では違った。
通り自体が、まるで美術館の廊下。美術館は建物自体がもはや展示品だ。
オルセーもルーブルも、見てやろうじゃないの。気持ちが踊った。
ところが・・・
2日後になって、こうしてぼんやりセーヌ川を見下ろしている。
ため息は何度もでる。
「君、まさか飛び込むつもりじゃなかろうね」
振り向くと後ろに老人が立っている。すでに定年退職は向かえている風貌。
隣には奥さんとおぼしきお婆さんもいる。
ちょっと汚い格好をした日本人の若造が憂鬱そうに川を見ているのを心配したのだろうか。
「いや、まさか。ただ、ちょっとガッカリしていたところなんですよ。」
「どうしたのかね?」と老人が続ける。
改めて見ると、立派な身なりだ。堅苦しくはないが、2人とも適度に上品な服装で、ツアー団体旅行客には見えない。
「知ってますか? 昨日、ルーブル博物館、ストライキで入れなかったんですよ」
思った以上にふて腐れた声が出てきて驚いた。
しかし当然だ。昨日は朝早くから並んで4時間待ったのだ。無残にも昼にストライキで開館しないことが告げられた。オルセーに向かったがアメリカ人に言われたように休館日だった。
「それで落ち込んでいるのかね?」と老人。
「それだけじゃないんです。今日はオルセーはストライキで開館しなかった。それに今度はルーブルが休館日です」
「そうだったね。私も家内と並んだんだよ。なあ?」
「疲れましたね。」お婆さんが頷く。
久しぶりの日本語に癒されたのか言葉が続いた。
「僕は、普段は、美術館とか博物館とか、あまり見ません。パリにも特に期待はしてなかったんです。でも、来てみたらとてもきれいな街だし、ルーブルもオルセーも建物からして素敵だし、ぜひ見てみたくなったんです。せっかくそういう気持ちになったのに、どっちも見られなかった。今夜はロンドンに向かわないといけないので、もうチャンスが無いんです。次、いつ来られるか分からないと思うと、すごくがっかりしてしまって」
思えば、旅が終わることの寂しさもあったのかもしれない。
最後のモラトリアムになるだろうと覚悟していた旅の終局の、この冴えない日々に気持ちが塞いでいた。
老人が微笑んだ。
「それはね、君。パリが君に、『また来なさい』と言っているんだよ。」
「そうそう、」お婆さんが相槌を打つ。「また来る楽しみができましたね。」
話を聞いていると、この老夫婦も、パリで見たいものが見られず、時にはがっかりし、時には不愉快な想いをし、そうして帰国したことが何度もあったという。
「そういうときにね、私はその街が『また来なさい』と言ってくれているのだと思うことにしたんだ。そういう街には、結局また来ることになるんだよ。君はまだ若いから、今日のそのがっかりした気持ちがあれば、またパリに来ることになる。そのときは、君は今日の想いの分、パリを楽しむことができる。そう思うといいよ」
涙腺が緩みそうになった。
それからしばらく話をして、お礼を言って、その場を去った。いつの間にか時間もたっている。
この2日間通った安い中華の惣菜屋でチャーハンを買い、パリ北駅に向かった。
ユーロスターに乗り、チャーハンを食べながら老夫婦の言葉を反芻した。
「それはね、君。パリが君に、『また来なさい』と言っているんだよ。」
きっとそうなのだろう。と自然に思えた。
また来ようパリへ。
その時は、パリに来るためにパリに来よう。
そして自分の人生の中で何度もこの街を訪れて、矍鑠たる老紳士になったら、セーヌ川を見てため息をついているような若者に声をかけてあげよう。
「それはね、君・・・」と。
夕焼けの麦畑の中を走るユーロスター。パリは遠ざかっていった。