私はこの演奏家の出す音を聴く度に、なんかこう、感想を述べたいのだけれど、それをどう表現していいのやら・・・、いつもそこに苦悩がつきまといますアセアセ
きれい〜〜〜乙女のトキメキ」とかいう表現でもいいっちゃいいのかもしれないけれど、でも決して、「きれい」ってわけではないんだよなぁ、この人の演奏は・・・もやもや
ということで、適当な賞賛の言葉も見つからないままいつも、

しゅご〜〜〜〜〜い照れ照れ照れ

って言っています爆笑

ところが、です。

ベヒシュタインピアノを使っての演奏会、

『古き佳き時代をめぐる旅路』

に行った翌日に、本屋さんをウロウロしていて、なんとなく手にとった本📕
そしてなんとなく開いたページ📖

そこにこんなことが書いてありました〜〜〜花火花火花火花火花火

長くなるけれど抜粋しちゃいます。

カメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメ
音楽家を乗せることになるとわかっていたら、そのCDはかけていなかっただろう。
ある集まりの後、帰る方向が同じ何人かを私の車で送ることになった。その中に、クラシック音楽の作曲や演出、演奏を行うプロの音楽家がいた。私は普段、車の中であまりクラシックを聴かない。たいがいもっと気楽なものをかける。運転をしているときは、音楽に気を取られたくないからだ。それなのに、その日に限ってクラシックだった。ヤナーチェクのヴァイオリン。

いうまでもないけれど、音楽の専門家を乗せるときは、他愛ない音楽をかけていたほうがいい。収納の達人にクローゼットを開けられたり、プロの料理人にキッチンを覗かれたりするのが恥ずかしいのと同じだ。
しまった、と思うまもなく、その人は、車が走り出すなり、
「ああ、いいですね、これ。誰が弾いてるの?」
といった。運転しながら、演奏家の名前を答えると、
「すごくきれいですね」
しばらく黙って聴いているようだった。緊張した。すごくきれいだとは私も思う。その先のひとことを聞きたいような聞きたくないような気持ちだった。
しかし、と彼は言葉をつないだ。
「少しきれいすぎますね」

そのひとことで、目の前にかかっていた靄が晴れたような気がした。このCDを聴くたびに引っかかっていたのはそこだったんだ、と思った。とてもきれいな演奏だったけれど、少しきれいすぎた。美しすぎる、というのとは違う。きれいすぎるのは、ほめ言葉ではない。

小説を書くときに・・・特に短編を書くときに・・・きれいにしたくない。きれいな話を書きたくないわけではないが、きれいにまとめるのはつまらない。人が生きていくのに、きれいなだけでは味がない。そもそも、きれいになんか生きられない。きれいに生きられるくらいなら、小説は要らない。もっと誠実に、そこにあるもの、そこで起きたこと、そこで生まれたものを書く。それが小説だと思う。音楽もそうなんだろう。きれいなだけでは音楽になりえないのではないか。そんなことを考えながら夜の道を走った。
カメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメ

そっかぁぁぁ〜〜〜、そうですよね〜〜〜びっくりびっくりびっくり
演奏を聴いて、「とてもきれいでした〜〜〜!」と感想を言うのって、ものすごい違和感ありましたもの。

演奏する側も、「きれいでした!」の感想はもしかしたら嬉しくないのかもしれないな、と。

・・・じゃあ次回から、なんて言おうか・・・?
「美しい薔薇にはトゲがあるように・・・思わず触れたくなる鈴蘭には毒があるように・・・美しくも怪しく毒々しい怪演でした!」
とか・・・嬉しいのかな・・・アセアセ

ちなみに上記の本のタイトルは、

『とりあえずウミガメのスープを仕込もう。』

お料理本のコーナーに置いてあった本ですもぐもぐ
私、本屋さんでお料理本をあれこれ見てたんですよ、今年こそ何かハロウィンっぽいモノを作るぞ!って思って・・・おばけくん
去年のハロウィンシーズンに、ブロ友さんのアップされていたハロウィン弁当に心を奪われ・・・、ホントに、美しくも怪しいお弁当だったんですよ爆笑
それを見て、次のハロウィンシーズンには自分もなんか作ってみたい!って思って1年・・・おばけくん

ハロウィンレシピ載っている本、見つけました〜〜〜爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑