毎度!おばんです!
36年前の今日は東須磨に勤務してました・・・
当時の運転指令からの速報は・・・
「阪急六甲駅で1004K列車脱線事故発生!1107K列車は帰ってきません!」
聴いた時は「は?」でした。
ですが、夕方のテレビのニュースを見てビックリ!
(当時の報道写真をコピーしました)
事故発生は1984(昭和59)年5月5日、山陽1004K列車(3064F)と、
K1104列車(2050F)とが衝突・・・
運転指令からは
「阪急乗り入れ列車は三宮折り返し、三宮~西宮北口間は阪神に振替輸送」
とだけしか伝わってなかったですね。
当時は「駅務係」だったんで、阪急への連絡乗車券発売停止と、
慌てて手書きポスター作って告知した記憶が残っています。
事故原因を聞いたのはニュースと同じタイミングですかね・・・
「山陽の信号無視」!聞いてさらにビックリしました!
当時のダイヤは・・・
平日昼間時間帯は、毎時2本の山陽の阪急六甲行は六甲で乗客を降ろした後はすぐに、
次駅東側の通称「御影中線」まで回送されて折り返す・・・
といったパターンですが、休日ダイヤは・・・
昼間時間帯毎時1本の六甲行は、後続の梅田行特急を退避後、
御影中線に向かう・・・
を、当該運転士「H口Z治(フルネームは今でも覚えていますが伏せます)」は
ダイヤ改正後のこのパターンは初乗務で気が動転した・・・
と逮捕後の供述が報道されました。
原因は当時の上司の指導助役から、
「ATS確認ボタンを勝手に押して発車しようとした」と教えられ愕然・・・
当時のニュース映像は、車掌・運転士の教習時にも見て、
「決してやってはならないこと」ときっちり教えられました。
でも・・・
(これも報道写真をコピーしました)
被害を受けた阪急の井本運転士は、負傷しながらも列車防護に走る姿も、
教習時に改めて見た記憶もあります。
また、当時の車掌さんも停車処置をとる暇もなく、事故に遭遇したそうです。
(車内に乗客が残っていないか?また遺失物はないか?車内巡回してたと聞きました)
その後、何度か警察の事情聴取もあっての乗務にも限界・・・
よりによって担当するはずの列車に飛び込んでしまいました・・・
(昼夜乗務の後半を休んで翌日の事情聴取に備えるために休まれていたそうです)
私はこの日も勤務だったので、事故処理に当たりました。
(現場が東須磨車庫の隣・・・)
あれから今日で36年・・・
裁判中は「証拠品」として抑えられていた3064Fは裁判終了後修復して復活。
中間車3507号は廃車され3503号に変わってリニューアルされて今も走っています。
(阪急2050号はその年に廃車されました)
そして、5月5日には山陽の阪急乗入列車には全列車(三宮折り返し含めて)
指導助役が添乗して注意喚起と六甲事故を忘れないための取り組みも行われました。
1998(平成10)年のダイヤ改正で、山陽の阪急六甲への乗り入れは廃止されて、
何年かは添乗が行われましたが、今年は遭遇しませんでした。
(タイミングが悪かったかもしれませんね)
当時運転台にあった「ATS確認」ボタンに「承認受けたか」や「押してもよいときか」など、
カバーも付けられましたが、誤操作防止から、車掌台側に移設され現在に至っています。
(私は出庫点検の「起動試験」の時しか、確認ボタンを押さなかった記憶があります)
山陽では今でも教習時に「六甲事故を振り返る」カリキュラムがあると聞きます。
今日は東二見で信号トラブルがあったそうですが、それは置いといて・・・
これからも語り継がれていくことを願いつつ、今日はこの辺で・・・
ほな! ドテテン!