母へ全てを伝えた日 | 腎がんステージ4、肝転移との闘い

腎がんステージ4、肝転移との闘い

母:腎癌ステージ4。
そんな母との闘病生活。一向に良くならない現状に加え、元々の性格もあり内容はネガティブなものが多いです。ブログでしか言えない思いもあります。不快に思われるようでしたらそのままお帰りください。迷惑、誹謗中傷コメは断固としてお断りします。

5度目の腹水穿刺をした。
採血も1ヶ月ぶりにしてもらった。
肝機能は勿論、腎機能がかなり悪かった。2ヶ月前は80台だったGFRが31。尿素窒素、Creも予想以上に悪かった。Kも6。
アンモニアは150を超えていた。
先日医師からは、(私だけ聞いた事だが)治療に進むより、緩和ケアでいった方が長生きできるだろう、とはっきり言われた。

最近傾眠傾向やせん妄らしきものも増えてきていた。虚ろな表情も多く、精神的にも参ってそうだった。笑顔が本当に少なくなった⋯
あとどれくらい母と話ができるかわからなかった。
母には厳しい予後と現状であることは結局伝えられずここまできてしまった。伝えずにいくつもりだった⋯
でも、最近の様子をみていると、本当にこれで良いのか、ただ悪くなっていく日々を過ごすだけで母は納得するのか、と再び悩む日々だった。

私だけでは答えは出せず、弟に現状と母へ伝えるべきかどうか相談した。
弟は前向きに希望もっててほしいと、以前は伝えない方向性が強かった。
数日しても返答なかったから、このまま伝えずにいくことになるのかな⋯と思っていた。

でも、夜中に母の様子見に行くと、話し声がした。
母と弟が楽しそうに話していた。
今日は調子が良い方だなとほっとした。
ふと弟が一言
「あのこと(厳しい現状や緩和ケアのこと)話したからね」と。
正直、とてもびっくりした。
まさか弟から母に話すとは思ってなかったから⋯母は落ち込むどころか、「そんなの気づいてたよね」とあっけらかんと話した。
「今日はよく喋って元気みたい。色んなこと話した。」と弟も母も嬉しそうだった。
母はややハイテンション気味なくらい。「それでもね、がんばるよ」と腕の筋トレしながら話した。弟と色んな話ができたことや、今まで腫れ物に触るようにしてきた部分の話が腰を据えて話せたからすっきりしたのかもしれない。

4月の始めから、母に話すべきか否かで本当に悩んだ。
そして7月再び、悩んでいたところに、
弟が青天の霹靂よろしく、母へ全てを伝えてくれていた。
弟の母への献身具合にも感心したし、何より今回の母への告知をあっさりとしてしまい⋯なんて大物なんだろうと思った。私が悩みすぎなのか!?
母は慌てることなく、「なるようにしかならないから 」と。「まだやりたいこと沢山あるからね。ここを花で1杯にして、4人で旅行にいって、カラオケに行って⋯」と夢を語った。
母は終始ご機嫌。
笑顔なんて久しぶり⋯
4人で旅行⋯行きたいね⋯車椅子でも良いから絶対行こう⋯だから少しでも良くなって⋯

よく母へ伝えてくれたと思う。
すごく悩んで勇気を出したんだろうな。
「言うなら今かなと思って」と。
こんなに弟が頼もしく感じたのは初めて⋯


母は落ち込むことなく、逆に前を向いてガンに立ち向かっていこうとする姿で良かった⋯
「緩和ケアのがいいかな?」と興味もあるようで、一緒に話聞きに行く?と聞くと「調子が良いときに行こうかね」と。

母も腹をわって色々話せたようで表情穏やか。
弟のおかげで今までのわだかまりが解けてきた気がした。こんな重大な役割を担ってくれてありがとう。

しばらく3人で談笑。
私の足は震えが止まらなかった。

予後厳しいことは承知の上だけど、
「最後まで諦めずいきたい」
というのが母の本当の願いなんだなあと改めて知った。
夢だって沢山あったんだね。全然しらなかったよ…


尚更まだまだ死んでほしくない。
ひとつでも夢を叶えてあげたい。
やっと本音で話せるようになってきたから、もっと家族で色んな話がしたい。

 
久しぶりに母とちゃんと向き合えた時間だった。弟よ、向き合う時間と勇気をくれてありがとう、母の思いを表出させてくれてありがとう