高校生期①からの続きです。



兄の留年で、陰りが出てきた我が家のその後。


先に、私の大学受験の話。

高校に入って読んだ本に感銘を受けて、

「この分野を勉強したい、

この先生の講義を受けたい!」

と、志望大学学部を決めました。

…いや、もうちょっと本音ベースで書きます。

これも事実ですが、違う理由もありました。


兄と同じ大学は到底入れないと諦めていましたが、旧帝大レベルの大学に入りたかったんです。


子どもの頃からの「天才兄の妹なのに」というプレッシャーに悩まされましたが、実はそれ以上にイヤだったのは、

「(かめちゃん)は勉強が苦手なら、無理させず、ひとりぐらい親元に残して、短大にでも行かせればいいんじゃない?」

と、親族が親に向かってささやく声でした。

ちょっとーむかっ聞こえてますよープンプン

聞こえてないフリをしたけれど。


親切心からの助言だったんだろうし、短大を否定するつもりもなかったのですが、見え隠れする「この子は出来が悪いんだから」という文脈が気に食わなかったのです。


努力しか取り柄がない自分だけど、でも、兄と同じ遺伝子を持ってるはずだし、現に高校は何とかなったし。

頑張って見返したいという、へんなプライドがでてきて、とある旧帝大学学部を目指すことに決めました。


なかなか苦しい挑戦でした。

特に、高3になり、部活が終わった地頭良し軍の猛進スピードについていけませんでした。

また、私自身、高3の9月まで部活を引退できなかったため、(団体種目に勝ち進んでしまい笑い泣き…本来喜ばしいことなのですが…アセアセ自分だけ早期引退するわけにはいかなかった)、お得意の「人の倍時間をかけて何とかする」ということもできず、下り調子で試験本番を迎えます。


1月。センター試験の結果はビミョーでした。

志望大学を下げたほうがいいことはわかっていました。

学校の先生からも諭されましたが、私はどうしても諦めきれませんでした。

私の努力をずっと見ていた親は、

「後期試験で安全圏の○大を受け、受かったら浪人をせず、そこに進学する」

という条件を元に、ゴーサインを出してくれました。


結果は、やっぱりドボンガーン

悔しさはずっと残りましたが、志望大学を落とさなかったことへの後悔はありません。

最後の追い込みをする中で、自分の限界ラインに気づき、「もう1年浪人しても、突破できないかもしれない」と思えました。

兄に追いつけないことを心底受け入れるためには、この悟りを得ることが必要だったのです。

ほろ苦い思いを抱きつつも、後期で合格した大学に進学しました。


そして、兄。

せっかく現役合格していたのに、2留したため、2学年下の子と机を並べることに。

大学の勉強では、学友との情報交換・助け合いも大事ですが、兄は、2学年下の子たちと、そういう関係を持てるほど、うまく立ち回ることはできなかったようです。

これは、大学の単位取得だけでなく、のちのち、就職活動にも影響してくることになります。



大学生になる妹が、大学生の兄に言いたかったこと。



(大学生期に続く)