いま読み終わった本は、「日本のいちばん長い日(決定版)」(半藤一利著、文春文庫)だ。半藤氏の著書は「幕末史」や「昭和史」などいくつか読んできたが、1995年に単行本が出てベストセラーとなった有名な本なのに、存在を知りながら約30年読んだことがなかった。というのは、ベストセラーになった本をあまり読みたくないというへそ曲がりな性格が、この本を遠ざけていたのかもしれない。先日、ケーブルテレビで映画(2015年版)をやっているのをみて、読んでいなかったことに気づいた。

 読後、真っ先に思ったことは、戦争というものが、いったん始まってしまうと、いかに止めることが難しいことかということだ。ロシアのウクライナへの軍事侵攻、イスラエルによるガザ(パレスチナ)攻撃を持ち出すまでもなく、和平というものはなかなか成立しない。日本では1937年(昭和12)の日中戦争から1945年(昭和20)まで8年続けられていた戦争で陸軍約148万、海軍約45万、一般国民約100万の死者が出ていたのに、幕が引けない状況にあった。

 敗戦濃厚であっても、大本営発表では虚偽の戦況情報が流され、多くの国民の意識は、まだ望みがあると竹槍を握りながら「本土決戦」を目指していた。最後の1人まで戦い抜くという「玉砕」の教育が浸透していたから、それ以外は考えられなくなっていたというのが実情だったのだろう。

 それが終戦(敗戦)へと舵を取るのは、大元帥・昭和天皇の意思の表明だった。7月に日本に対し米英中が無条件降伏を勧告した「ポツダム宣言」を発表。8月6日に広島へ原子爆弾が投下されたあと、天皇は外相(東郷茂徳)へ「このような武器がつかわれるようになっては、もうこれ以上、戦争を続けることはできない。不可能である。(中略)なるべくすみやかに戦争を終結するよう努力せよ」と伝えた。

 それから8月15日正午の玉音放送がラジオで全国に流されるまでの動きを、微に入り細を穿ち、時系列で書いているが、そのうちもっとも緊迫感があったのが、陸軍の一部将校(井田正孝中佐、椎崎二郎中佐、畑中健二少佐ら)によるクーデター(蹶起=けっき)計画だった。彼らは天皇のポツダム宣言受諾の「聖断」は悪い宰相たち「君側の奸(かん)」が、自分たちの保身のために天皇をそそのかしてやらせたものだという考えに染まっていた。

 この思想は、1936年に斎藤実内大臣や高橋是清蔵相らを君側の奸として殺害した「二・二六事件」と同じだ。そして将校たちは、天皇の聖断を翻意させるために、近衛師団の森赳師団長らを殺害し、偽の命令を作成して近衛兵をあやつる。皇居の占拠に成功し、クーデター寸前まで突き進むが、命令の虚偽が露呈して失敗に終わった。

 一触即発、聖断の取り消しや玉砕方針への転換は数時間の違いで起こりえたのだ。

 もう一つ思うのは、鈴木貫太郎首相ら大臣たちの胆力の強さ、覚悟の重さだろう。鈴木は海軍大将、侍従長を務めたが、二・二六事件で4発の銃弾を受けて一命を取り留めた人物。肝のすわった鈴木でなければ終戦までまとめ切れたかは分からない。さらに、蹶起を促す若手将校たちに「不服の者は自分の屍(しかばね)を越えていけ」と一喝し、8月14日夜、「死ぬのはおれ一人でいい」と切腹で陸軍の責任をとった阿南惟幾陸軍大臣も、強い意志を示した。今の政治家たちに、こうした強さ、重さが感じられるだろうか。自戒を込めて言えば、私たちにもなにがしかの覚悟はあるのか。

 あの昭和20年8月15日から、私たち日本人は、米軍の傘の下に78年もの間、平和をむさぼり続けている。この本に書かれた終戦時の物語を美化する気持ちはまったくないが、平和でいられるのは、たくさんの犠牲のうえに成り立っているということ、そしていまも、すぐそこに戦争が起こる危機があることを忘れてはならない。現実に我が国にも戦争が起きたとき、戦争を知らない私たちはどう行動すべきなのか、いまから考えておかなければならない。         (2024.6.15 風狂老人日記)