災難はいつも突然やってくる。夕食にそばを食していると、おや? と口の中に違和感を感じた。舌で探ってみると、あるはずの歯がない。口から飛び出したはずもない。そう、そばといっしょに飲み込んでしまったのだ。

 この歯は、2年ほど前、虫歯になった歯の上部を削って土台を残し、そこにポールを立てて樹脂製の歯を立てたものだった。とっても具合がいいので、ほかの歯とすっかりなじんで、自分の歯同様のレギュラーメンバーに収まっていた。

 突然と書いてしまったが、実は4~5日前に前ぶれがあった。この歯がぐらついたと思ったら、スポッと抜けた。しかし、指ではめ込むとピタリと元通りになった。そのうち歯医者に行って、様子を見てもらおうと思っていたら、この体たらくである。しかし、まさか、飲み込んでしまうとは、つゆほども思わなかった。

 職場で話したら、男性の一人に「トイレで探さなかったの?」と訊かれた。もちろん、その手はあるが、気分的にそうする気にはならなかった。食事時の読者の方々、申し訳ありません。

 そして、かかりつけの歯医者Oさんに見てもらうと、「まず、レントゲンを撮りましょう」という。レントゲン画像をみても、素人の私にはまったく分からないが、O先生は「大丈夫そうなので、型を取れば、もう一度同じ歯を作って上げられそうですね」と診断した。やれやれ助かった。あとはできあがりを待つだけか、と安心していたが、それじゃ話がうますぎる。

 歯石の検査をしていたときにO先生、くだんの歯を診ながら、「あ、やっぱり割れてますね。レントゲンの角度では見えないヒビが入っています」

 そして予定変更、治療は四択となった。1つ目は何もしないで蓋をしてしまう。2つ目は両サイドの歯を削ってブリッジにする。3つ目は歯を抜いて、入れ歯にする。4つ目はインプラントにする。

 1つ目の何もしない治療は、あとでばい菌が入って化膿する危険があるという。また、4つ目のインプラントは費用が高い。費用も安く、ほかの歯を削らなくとも済むのは入れ歯だと聞かされ、それを選択することにした。そして、10数年ぶりに抜歯することになった。

 そして今日、朝9時から麻酔をして、左下の歯1本を抜いてもらった。抜いた歯を見せてもらったが、しっかりヒビが入っていた。これじゃあ土台にはならない。麻酔が効いて、術中の痛みはなかったものの、あごから唇にかけてしびれ、話もろくにできない。しかし、幸運なことに3時間たって麻酔が切れても、ほとんど痛みが来なかった。いつも通り仕事ができた。

 ただ、それだけのことであるが、一つだけ考えることがあった。

 何週間か前、NHKの番組で歯について特集していた。終わる間際に見たので、番組名も内容もほとんど覚えていないが、1つだけ印象に残った解説があった。それは、こうだ。

 私たちの歯にはそれぞれ神経がある。その神経は、食べ物から受けた圧力や感触を感知し、それを瞬時に脳に伝え、また瞬時に脳が打ち返した指令で、どれだけの強さで、どう噛むかの調整を繰り返しているのだという。だから、堅いものをしっかり噛んだり、柔らかいものをソフトに噛んだりできる。そうでなければ、歯はすぐにボロボロになってしまうだろう。言われてみれば当然のことながら、歯は「歯触り」や「歯ごたえ」を敏感に感じる優秀なセンサーだったのだ。

 そして、思うことは、入れ歯という神経のない歯で噛むことが、いかに味気のないことか。歯1本といえども、外界とつながる大事な組織(道具)が失われることは、とてもさびしい。                   (2024.4.2風狂老人日記)