昨夜、パート仕事の仲間Mさんと酒を飲んだ。昨年入った男性で、私より5~6歳年上だが、酒が好きだと聞いていたし、何かの時にジャズについて話した思い出に興味があって、いつか酒席をともにし、詳しく聞きたいと思っていた。

 Mさんは大学を出たあと、マーケティングの会社に勤めたが、性に合わずやめて赤坂のK音楽事務所に就職した。そこでやらされたのが、ジャズメンたちのツアーの世話係だったという。中でも印象に残っているのが、ミルト・ジャクソン(1923~99)のクインテット。そのツアーに付き添って、会場設営をやる仕事だった。

 ミルトはビブラホン、ほかにレイ・ブラウン(1926~2002)のベース、テディ・エドワーズ(1924~2003)のサックス、シダー・ウォルトン(1934~3013)のピアノだったが、ドラムの奏者は誰だったか思い出せないという。山形や岩手、北海道などを巡るうちに親しくなり、ミルトから折れたバチをもらったり、テディから帽子をもらったりしたが、人にあげて今は手元にないらしい。ミルトは大の甘党だった。給料は安かったが、生演奏を間近で聴けるのが最高の幸せだったという。

 私が持っているミルトのCDは、名盤「PRUS DE JAZZ」の1枚だけ。ハンク・ジョーンズ(1918~2010)のピアノ、フランク・ウェス(1922~2013)のフルート、エディ・ジョーンズ(1929~97)のベースがとても調和していて、私の安眠剤の一つになっている。

 Oさんの思い出は何ともうらやましい話だが、1970~80年代は、こうした一流のジャズメンたちが来日して、日本のジャズファンに呼ばれた土地で、生演奏を披露した。レコードを買ってもらうことと、観光が目的だったらしい。

 私には10数年前、ちょっとした思い出がある。仕事で秋田県能代市に行ったとき、コーヒーを飲みたいと古ぼけた喫茶店に入った。店の奥に、立派なステレオが置いてあった。40~50年ぐらい前のものだろう。そして壁をみると、何とあのレイ・ブライアント(1931~2011)のサイン色紙が飾ってあるではないか。レイはピアノ奏者で作曲家でもあった。彼の弾く「ゴールデン・イヤリングス」と「エンジェル・アイズ」は、私の大好きな名曲である。

 思わず、かなり高齢な女店主にたずねた。「あのレイが、ここに来たんですか?」

 「ええ、何人かで、あそこで演奏したんですよ」と、ステレオが置かれてある場所を指さした。レイ以外のジャズメンたちも来たことがあるという。そのとき、ここにいたかったなぁと思った。

 静岡県浜松市に2年ほどいたときは、毎月のようにジャズバー「ハァーミットドルフィン」で生演奏を聴いていた。日本人のジャズメンばかりだったが、ライブに酔いしれて、彼らのCDをいくつか買ったものだ。

 CDよりレコードの方が音がいい。でも、レコードより生演奏はもっと音が美しい。まあ、この3つの音は別物といっていいのだろう。

 ビル・エヴァンス(1929~80)、トミー・フラナガン(1930~2001)、エラ・フィッツ・ジェラルド(1917~96)、ケニー・ドーハム(1924~72)、ジュリー・ロンドン(1926~2000)、マイルス・デイヴィス(1926~91)…。ジャズの著名な演奏家たちは、ほとんどが鬼籍に入ってしまった。遅れてきたジャズファンとしては、彼らの生演奏が聴けるタイムマシンがあったらなぁと、所詮かなわない夢を見る。

                        (2024.3.27 風狂老人日記)