最近、週刊誌の記事が発端で、売れっ子のお笑い芸人Mに対する「女性の上納システム」というものが、マスコミを賑わしている。嘆かわしいことだ。

 テレビでいくつもレギュラー番組をもつMに、世話になった後輩芸人たちが知り合いの女性を飲み会に連れてきて、スマートフォンを取り上げたうえで別室に追い込み、Mが性行為を迫るということらしい。私は、これを知ったとき、時代劇に出てくる悪代官や悪徳商人のやり方を思い出した。ドラマの最後に、正義の主人公に一刀両断に斬り捨てられる悪役たちだ。

  もし、外部との連絡手段を遮断した、いわば「監禁状態」で性行為を強要したとすると、「犯罪」と言えるだろう。それは、お笑い芸人だから許されることではなく、誰であっても「人でなし」の卑劣な所業だ。

 「被害があった」と主張する女性たちが告発し、Mも名誉毀損で提訴したらしいから、その事実があったのかどうかは今後、裁判で明らかになるのだろう。ただ、私個人は、ジャニー喜多川の性加害問題がそうであったように、女性たちが勇気をもって告発した以上、「事実無根」「おとがめなし」というような結果にはならないと思っている。

 私はここ10年ぐらい前から、テレビのバラエティーやお笑い番組をほとんど視聴しなくなった。これは私ばかりでなく、知り合いの多くが「最近はバラエティー番組は見なくなった」と証言していて、私は「お笑い離れ」が確実に進んでいるのではないかと案じている。一言で言えば、「お笑い」が面白くない。ほとんど視ていないのだから、正確なことは言えないが、お笑いに「お、これは素晴らしい(面白い)」というような魅力が感じられないのだ。

 人を笑わせるのはとても難しい技術だ。古典落語を例に取れば、間違えないように話を記憶するだけでも大変だが、話の時代や風俗を勉強し、声の出し方や表現を磨く。さらには、高座に上がれば、その時々の客層や反応を敏感に捉えて、臨機応変に間やリズムを変化させる。

 これができるようになるまでには、気の遠くなるような稽古の繰り返しが必要だろう。だから聴衆は、「名人芸」と言われるような、鍛錬によって研ぎ澄まされた話術の見事さに、心打たれ、笑うのだ。つまり、大真面目に、真剣に稽古に打ち込まなければ、魅力ある芸は生まれない。そして、そうした芸人には、芸一筋に打ち込む気品が感じられるものだ。

 ところが、バラエティー番組などを見ていると、ただふざけているだけか、ほかの出演者をからかったり、いじめたりするような野卑な笑いが多い。すべてのお笑いがそうだとは言わないが、「秀でた芸」も、「人間としての品格」も感じられなくなっているように思う。

 ところで、Mらお笑い芸人を抱えているY社は、芸人たちをどう育てているのだろうか。ただ、売れて金になるだけの芸人をちやほやして、「真の芸」のある芸人たちを育てていないのではないか。利益を追求するだけなら、解散したほうがいい。テレビに出演させていることの重さを考えるべきだ。笑いの文化は、時代に影響されているが、時代にも影響を与えている。誇りや品格を大事にしなければ、やがて、お笑いは廃れてしまうだろう。              (2024.2.4 風狂老人日記)