久しぶりに隣のK市に買い物に行き、馴染みの古書店を覗くと、「特派員-中国でなにを視たのか-芥川龍之介」(関口安義著 毎日新聞社)という本があった。1921年(大正10)、大阪毎日新聞社の特派員で中国を訪れた芥川龍之介(1892~1927)について書かれた本だ。芥川が中国を訪れたことは知ってはいたが、詳しい内容までは知らなかった。

 このブログでは最近、展覧会「100年前の未来 移動するモダニズム1920~1930」、シュテファン・ツヴァイク著の「昨日の世界」を取り上げ、今からちょうど100年前ごろの国際情勢や世相について書く機会が多いのだが、実は芥川龍之介も、100年前の時代を生きた作家だった。私は、吸い寄せられるように、この本を手に取っていた。今回は、この本を参考に、いまとどこか似ている100年前の日本の世相を考えてみたい。

 初めに、この時代、日本の歴史の中で、把握しておかなければならない、いくつかの大きな出来事を列挙しておく。第一次世界大戦(1914~18)▽中国に21ヵ条要求(15)▽スペイン風邪の流行(18~21)▽社会主義同盟結成、海軍軍縮会議(20)▽関東大震災(23)▽治安維持法制定(25)▽中国山東省への出兵▽張作霖爆殺事件(28)▽満州事変(31)。中国への21カ条要求は、第一次世界大戦でイギリスがドイツに宣戦したのを機に、イギリスと同盟を結んでいた日本が参戦し、ドイツの中国における根拠地、青島(チンタオ)や山東省の権益を奪い、武力をちらつかせて要求を袁世凱(えんせいがい)政府に無理矢理のませたもの。中国国民の反発を招いた。

 龍之介が作家デビューしたのは、1915年(大正4年)に「羅生門」を書いてからだろう。その後も「鼻」「芋粥(いもがゆ)」「手巾(ハンケチ)」などを発表し、作家としての評価を確立していた。

 大阪毎日新聞には「戯作三昧」を初掲載したあと社友となっていた。しかし、このころは、横須賀の海軍学校に英語を教えに行って、「二足の草鞋(わらじ)」を履いていた。18年に妻帯したこともあり、本格的に創作の道で収入を得ようと翌19年、大阪毎日新聞社の社員となる。ほかの新聞には書かないことを条件に、「月給50円+作品の原稿料」という恵まれた待遇となる。21年3月から7月にかけての視察員(特派員)としての中国旅行は、新進気鋭の作家による「新しい中国」のルポルタージュという目玉記事のはずだった。

 しかし、約120日間に及ぶ中国旅行では、出発時から発熱などの症状でずっと体調が悪く、中国に着いたばかりの上海では「肋膜炎」と診断され、3週間も入院している。そのため、現地から連日、原稿を送るという約束は、すぐ反故にされた。スペイン風邪では国内で約39万人の犠牲者が出ている。龍之介は入社前すでに、2度感染しているが、命は取り留めていた。いまでは、旅行中の病気も「スペイン風邪の3度目の罹患だったのではないか」という説がある。

 もともと漢文の素養があり、中国文化に明るかった龍之介は、「杜子春(とししゅん)」(20)や「南京の基督(キリスト)」(20)など、中国に題材を得た作品を書いていたが、実際に中国を訪れるのは初めてだった。

 ところが、旅先で遭遇するのは、中国国民の「反日」「抗日」の表れだった。幼い頃から「西遊記」や「水滸伝」で親しんだ、おおらかで自由闊達な文化はすでになく、辛亥革命(1912)後に興った新文化運動や、中国共産党の結成(21)に代表されるプロレタリアートの台頭が、社会を支配していた。

 天平山白雲寺で目にした落書き(七言絶句)の最後に、「殺尽倭奴方罷休」とあった。「日本のやつら(倭奴)を殺し尽くして、ゆっくり休みたい」という意味だ。自国に侵出してきた日本に対する強い恨みが表れていた。中国に憧れていた龍之介はショックを受ける。

 さらに上海では、もっとも会いたかった学者・章炳麟(しょうへいりん)から「予(私)の最も嫌悪する日本人は、鬼ヶ島を征服した桃太郎である」と告げられる。ほかに迷惑をかけずに平和な生活を送っていた鬼たちを一方的に滅ぼす桃太郎を、日本の軍国主義・帝国主義に重ね合わせて批判したのだ。

 中国を訪れるまで、愛して止まなかった「書物(想像)での中国」と「現実の中国」はあまりにも違っていた。行く先々で中国人の恨みや幻滅を味わい、「日本人(自分)は愛されていない」と感じる。そして傷ついた龍之介の中で芽生えてきたのが、中国を痛めつけている日本軍に対する反感だった。

 帰国後に書いた「将軍」(22)には、乃木希典陸軍大将をモデルにしたとみられるN将軍が登場する。日露戦争を舞台に、将軍の指示で中国人を斬殺する残虐な場面が描かれている。ところが、「反戦小説」とも思える内容に、当局の検閲によっていくつもの伏字が入り、虫食い状態の文章は、無残にも肝心な部分が意味不明だ。

 帰国後も体調の悪さに悩まされた。しかし、さらに追い打ちをかけるように23年9月、関東大震災に遭遇する。自宅は被災しなかったものの、吉原の池に浮かんだ夥(おびただ)しい死体などを目にした。もう一つ、私的な悩みもあった。それは中国旅行の2年前、ダブル不倫の果てに子供を出産したS子が、自宅にまで乗り込んできて、子の認知を迫ったことだった。

 こうしたさまざまな災禍が、龍之介の神経をむしばみ、不眠症に陥る。そして睡眠薬の常用、服毒自殺(27)につながっていく。遺書に残した有名な「将来に対する唯(ただ)ぼんやりとした不安」という自殺の動機は、言うまでもなく、私的な悩みだけでなく、暗い世相を反映していたことは間違いないだろう。

  蛇足だろうが、付け加えたい。今年は元日から、関東大震災ほどではないが、能登半島で甚大な被害をもたらす大地震・大津波が起きた。一方でロシアによるウクライナ侵攻とイスラエルによるパレスチナ攻撃は、年を越しても続いている。100年前の世界同様、領土問題や民族・宗教対立での分断が、いくつも深刻さを増している。

 国内に目を転じれば、こうした国際情勢に伴って、ロシアに対する経済制裁参加への報復や、中国の武力統一が起きた場合の「台湾有事」で、いつでも日本は戦争に巻き込まれる可能性がある。

 一方で、国内政治は、自民党の政治パーティー資金のキックバックによる「裏金」問題で大揺れ、喫緊の問題を解決するような余裕がない。経済界では、国際企業のトヨタにも系列のダイハツ、自動織機に致命的な不祥事が発生した。おまけに、芸能界はジャニーズの性加害問題が一段落したと思ったら、お笑い芸人に「女性の性」を上納する問題が吹き出して、連日マスコミを賑わしている嘆かわしさだ。

 一番大事なときに、足元がふらついている日本。100年前のように、政治や経済がおかしな方向に行かないように、しっかり行く末を見つめる必要がある。

                         (2024.2.1 風狂老人日記)