数週間前、約20年ぶりぐらいか、井上陽水(75)のアルバムCDを買った。「EVERY NIGHT」だ。陽水は、自分が大学に入ったころから、ほぼ半世紀近いファンである。いつもではないが、ときどき引っ張り出して聴きたくなる。

 今回は、テレビのチャンネルを換えたら、映画「カモメ食堂」(2006年公開、萩上直子監督:群ようこ原作)が終わるところで、そのエンディングテーマに「クレイジーラブ」がかかった。CDがほしくなって、その曲が入っているアルバムを通販で取り寄せたというわけだ。

 はっきり言えば、「クレイジーラブ」以外の9曲は、陽水にしては駄作だと思う。しかし、クレイジーラブが出色のできだから許す。

 伸びやかで美しいメロディーに、胸がキュンとするような詩がよく合っている。ほんの一部を紹介すれば「愛されていても/私ひとりが幸福(しあわせ)を/胸に飾るだけなの」、「消えそうな空に/夢を私が描くのは/特に意味がないから」。ちょっと気まぐれな乙女の揺れる心を、憎いほど表現しているように思えてくる。

 陽水の楽曲の魅力は、心地よく美しい旋律、繊細で含みの多い歌詞、透明感のある高い歌声といっていいだろう。この三拍子がそろったミュージシャンは、日本ではほかには見当たらない。

 「傘がない」や「氷の世界」で衝撃的なデビューを飾ったあとも、「東へ西へ」「夢の中へ」「白い一日」「闇夜の国から」「青空、ひとりきり」「心もよう」「いっそセレナーデ」「リバーサイドホテル」「少年時代」などなど、多くのヒット曲を世に出してきた。

 それは、いま挙げた才能の3要素だけではなく、人間の弱さ、孤独、むなしさ、儚(はかな)さを曲の中に溶け込ましているからだと思っている。

 私は「めめしい」曲が好きだ。「女々しい」とは書かない。男女を問わず、人間は意気地がなく、いつも悩んでいる存在だからだと思っているから。弱いから抱きしめたくなる。曲を聴いて、歌で表現されている人間が「自分と同じく、悩み多い存在だ」と感じたとき、寄り添いたくなるし、自分も救われた気持ちになる。陽水の歌には、それが感じられる。

 私は、陽水と同時期にデビューした吉田拓郎の曲には、それが感じられなかった。いまだにあまり聴くことがない。

 コロナウイルスの影響もあってか、陽水は故郷の福岡に戻ってここ数年、あまり活動はしていないらしい。後期高齢者にはなったが、才能あふれる曲をまだまだ発信してほしい。そう願っている。           (2024.1.27 風狂老人日記)