13日に行われた台湾の総統選は、与党・民進党の頼清徳候補が558万票を獲得して当選した。この結果を見て、少しホッとした。中国と距離を置く姿勢は変わらずに維持され、米国など西側・民主主義国家との良好な関係が続くと思えるからである。ただ頼氏の得票は、残り2人の候補の合計得票数より少なかったし、議員の勢力でも劣っているから、「政権の安定度」という面での不安は拭いきれない。

 中国は台湾産品の輸入禁止や武力威嚇(いかく)などで選挙を妨害しようとしたが、成功しなかった。しかし、これからも、台湾をゆさぶる動きは続くだろう。そして武力による統合の準備もさらに進めるのだろう。

 台湾は母親の「故郷」である。とはいっても、台湾人ではない。昭和初期、台湾には日本の総督府が置かれていた。母は、その役人だった父親の赴任地で生まれた。終戦とともに引き揚げてきた。その母も今年94歳になる。

 母親は子供たちに台湾の思い出を話すことはあったが、多くは現地の食べ物の話だった。そうした思い出のなかで印象に残っているのは「お父さんは現地の人たちと仲が良くて、よく現地の人が家に遊びに来ていた」という話だ。これが特別なケースだったのかは分からないが、私は、台湾では日本人と現地人の間にそれほど険悪な関係が生まれていなかったのだと思い込んでいた。

 だからといって、日本の台湾出兵(1874)、日清戦争(1894~5)の勝利と下関条約による領土化という「日本の暴力」を否定する訳ではない。日本の侵出に抵抗する多くの現地人を殺害した弾圧や、日本の制度や文化の強要という植民地化は、消し去ることのできない歴史的な事実だからだ。

 しかし、第二次世界大戦後は、台湾の中に民主主義社会が育ち、産業も発展して、いまや経済や工業では「先進国」ともいえるまで成長している。

 私は、中国が主張する「一つの中国」を否定する気はない。中国と台湾が平和裡にいっしょになれれば、日本を含む列強によって中国が分割された「不幸な時代」を少しでも修復できると思うからだが、1つだけ条件がある。言うまでもなく、「民主主義社会の維持」だ。

 3年前、「香港国家安全維持法」が施行されて、香港では自由な政治活動ができなくなった。当時、中国の圧力に抵抗した女性活動家・周庭さん(27)は釈放後、カナダに逃れて暮らしているという。テレビのインタビューに「香港には帰りたいが、いまは帰れない」と話していた。台湾が香港の二の舞になってはいけない。

 中国の今の習近平体制は、言論の自由を許さない。台湾が祖国・中国に戻ったとしても、台湾という地域が「生き生きと暮らせない牢獄」になってしまうなら、「一つの中国」は時期尚早としか言うしかない。      (2024.1.16 風狂老人日記)