神奈川県立近代美術館が14日に開いた連続講演会の5回目で、造形作家で批評家の岡崎乾二郎氏が、「反復する世界大戦と抽象」の題で興味深い見方を披歴した。私なりの解釈になるが、中身を少しだけ紹介したい。
おおざっぱに「抽象絵画」の歴史というと、19世紀後半からセザンヌらのポスト印象主義にその芽生えを見せ、20世紀初頭のキュビスムやシュールレアリスムをへて、カンディンスキーやモンドリアンにつながる流れを思い浮かべる。誤解を恐れずに言えば、それは絵画が、目に見えている事物(三次元空間)をどうやって平面上(二次元)にリアルに表現するかという時代から、心の中(感情)や音楽、時間など目には見えないものまでも表現しようという新時代への「飛躍」だったともいえるだろう。
20世紀の抽象化への動きは、第一次世界大戦(1914~)、第二次世界大戦(1939~)と重なっていたから、とくにヨーロッパ美術史の文脈のなかではしばしば、戦争の破壊や重圧によって人間性のゆがみや人間への不信が生み出され、それが「アンフォルメル」のような形の崩れた表現につながったようにも語られてきた。戦後は日本でもアンフォルメル旋風が吹き荒れたのも事実だ。私は、岡崎氏の講演も、戦争と抽象の関係を取り上げるからには、戦争がアーティストに及ぼした「心への影響」の話だと思っていた。が、まったく違っていた。岡崎氏が注目したのは、戦争によるテクノロジーの発達や視点の変化だった。
日本は1931年に満州事変、33年に国際連盟脱退、37年に日中戦争と「戦争への道」をひた走った。その1930年代に、抽象絵画が隆盛を極めたという。抽象絵画の先駆者・長谷川三郎や吉原治良、瑛九らはこの時期、外国の抽象画家よりも早く、多くの抽象作品を残している。
岡崎氏によれば、それらの作品の題材や視点に影響を及ぼしたのが、戦争の「情報戦」に伴う映画などの技術革新と、戦争におけるあらゆるアングルからの攻防だったという。
その一例として挙げたのが、飛行機による「空中戦」だ。大空を何機もの戦闘機が縦横無尽に飛び交いながら、互いに「敵機」を銃撃し合う実写の映画シーンを見ると、地平線は見えず、上下や左右の感覚さえも失われてしまう。さらに、落下傘がいくつも飛行機から繰り出されるシーンも不思議な動く模様のように思える。
藤田嗣治ら著名な画家たちが従軍して、具象でいわゆる「戦争画」を描いたが、それらは戦争の攻防の実態を表現するものではなく、むしろ抽象画の方が、新しい表現として、戦争を表現するメディアとしてふさわしかったという。
戦争が私たちの空間把握の感覚までも変え、それが新しい表現に繋がったという岡崎氏の見方はとても新鮮で、絵画を見るうえで、また大きなヒントをもらった気がした。
(2019.12.15 風狂老人日記)