ようやく昨日(4日)、香港政府の行政長官が、容疑者を中国本土に引き渡す「逃亡犯条例」改正案を正式に撤回すると表明した。これでデモが鎮静化するのかどうか、国際社会から注目されている。しかし、残念ながら「遅きに失した感」が否めない。

 香港の歴史を少しだけ振り返る。アヘン戦争などを経て1842年にイギリスが当時の清国から永久割譲され、「大英帝国」の一部として150年以上英国の文化、経済が浸透してきた。とくに、国共内戦のあとは、「文化大革命」、そして忌まわしき「天安門事件」など共産党一党独裁による言論統制や弾圧が顕著になるたびに、自由な社会を求めて、中国本土から香港に逃げ込む「逃港者」が相次いできた。

 1997年、イギリスから中華人民共和国(中国)へ主権が移譲されたものの、「香港人」の反発は根強く、問題があるたびに抗議のデモが起きた。鄧小平が向う50年は社会主義を導入しないと約束したことになっているが、じわじわと強まる言論統制と中国制度導入への圧力は、ついに今回、反発の「沸点」ともいえる大型デモに発展した。

 中国当局のデモ鎮圧の方法はワンパターンだ。国境近くの深圳に軍を集め、武力介入をちらつかせて恫喝するか、デモの指導者など関係者を拘束するか。今回もだらだらと3カ月同じことをやり、かえって火に油を注いだ。もう、そうした力による封じ込めには屈しないレベルまでデモの先鋭化は進んでしまっている。たぶん改正案の撤回で満足はせず、要求の中でもとくに行政長官の一般普通選挙の実現を求めるだろう。

 行政長官の普通選挙導入を認めることは、中国本土で行われている共産党一党支配の代表選出を否定することに繋がる。一度認めてしまえば、北京などでも普通選挙を求める声は一気に高まる。やがて支配体制の堤防は決壊し、「民主化の大波」が国全体を飲み込むに違いない。

 しかしいまのところ、北京など国内主要都市で、香港デモに呼応して民主化を求める声が高まっているとのニュースは流れてこない。理由の一つには中国本土内のメディアの多くが言論統制され、香港デモをテロ行為や暴動のように捻じ曲げて伝えていることや、批判的なメディアの情報発信が当局に抑え込まれていることがあるのだろう。

 香港デモが成功を収めるのか、天安門事件のような悲惨な結果に終わってしまうのかは、世界の民主化にとって、大きな試金石になる。行方を注視したい。

                                        (2019.9.5 風狂老人日記)