昨日、甲子園岩手県予選で、大船渡・佐々木朗希投手の話を書いた。きょうも朝から、4チャンネルの「ウェークアップ!+」でも取り上げていた。途中から見たので、詳しくは覚えていないが、内容はおおむね、以下のようなことだったと思う。

 小学校ぐらいから野球を始めている子供たちにも、ひじや肩の故障が多数出ている。大阪・堺のあるチームは、子供たちの将来を考え、球数制限を導入して、故障のリスクを取り除くことを始めた。球数制限は、30年も前から日本でも導入が検討されてきたが、リトルリーグや高野連など少年野球にかかわる団体が多いことが災いし、意見がまとまることはなかった。米国ではすでに、球数制限が導入されていて、プロ入り前に故障する選手は少ないという。

 この番組をみて、なぜこれまで、球数制限がきちんと議論の俎上に上らなかったのか不思議に思った。まさか甲子園大会を主催する朝日新聞や毎日新聞と系列テレビ局などマスコミがタブー視して、もみ消してきたからなのだろうか。思い起こせば昭和の時代は、甲子園そしてプロ野球という「国民的な関心事」を報道することで、スポーツ紙が売れたり、視聴率が稼げたりしたから、足を引っ張るようなニュースはあまり取り上げたくはなかったかもしれない。

 平成を経て、甲子園大会は変質した。県別の代表として出てくる選手たちの多くが、かなり前から地元出身ではない。関東や関西の激戦区の子が、地方の甲子園常連の高校に越境入学することで、レギュラーになって甲子園に勝ち上がってくる。「急がば回れ」そのものだ。甲子園に出場している期間、関西の実家に「お里帰り」して、母親の手料理でスタミナをつけたなんていう選手もいた。かように、甲子園に出場して勝つことが最優先され、それが「スター」を生み、多くの野球関係者の利益につながってきたのだ。

 しかし、いまはどうだろう。野球人口の減少もあり、地上波のテレビでプロ野球を生中継しても視聴率を稼げないし、記事で大きく取り上げても、それほど新聞が売れるわけでもない。スポーツファンの関心はサッカーやラグビー、テニス、卓球など多種多様な種目に移っている。もはや、野球は「国民的なスポーツ」ではなくなったのだ。

 つまり、アマチュアスポーツとしての少年野球は、本来の健全さを取り戻すときに来ている。子供たちの体と精神を健やかに育む少年野球のルールを再構築し、そのうえで甲子園の実績偏重のプロ新人獲得 (ドラフト)を見直し、商業主義にまみれた野球界を「洗濯」する必要があると思う。                            (風狂老人日記 2019.8.3)