「あ、いた」

 思わず声が出た。水面すれすれに、鮮やかな青い翼が滑るように飛んでいく。

40~50メートルも飛んだ姿は、あっという間に視界から消えた。

 これで2度目の出会い。ちょうど1年ほど前の初夏。この川で、カワセミに遭遇したのだ。鮮やかな羽の色はブルーにもヒスイ色にも見える。

 自宅近くの用水路を少し大きくしたようなドブ川だ。「T川」と一応、名前がついてはいるが、浅いうえに、生活の排水が流れ込んで、とても生き物がいるような環境には思えない。でも、目を凝らしてみれば、アユの稚魚らしい4、5センチの魚が群れで泳いでいる。これをカワセミは狙っているのだろうか。

 出会うときはいつもカメラを持っていない。望遠鏡も持っていないので、姿をクローズアップして確認することができない。メスはくちばしが赤いらしいが、肉眼ではとても確認できない距離だ。しかし、日本の風景、とくにお世辞にも美しいとは言えない、くすんだ都市近郊の風景の中で、他を圧倒する「青い宝石」は、間違いなく「私はカワセミです」と主張していた。

 実は2年ほど前、ある美術館近くの池で目撃したことがある。秋だったか。雨が降っていたと思う。池を見下ろす3~4メートルの木の枝に、じっと息を凝らすように止まっていた。うっそうと茂った木立の中で、あたりは薄暗い。しかし、その青い羽は、内部から光を放っているように見えた。この時はカメラを持っていたが、望遠レンズがなかったので、写真に収めることはできなかった。

 私にとってカワセミという鳥は、澄んだ谷川といった、手つかずの自然の中で暮らしているイメージだった。ところが、出会ったカワセミは、人間の生活圏の中にいた。「都市野鳥化」という言葉を20年ほど前に大学の先生から教えてもらったことがある。ニューヨークの高層ビルで暮らすハヤブサの話は知っている人が多いと思うが、人間の生活圏に順応して生きる鳥たちである。カワセミも、その例なのだろうか。そうだとしても、カワセミにとって、幸せなんだろうか。

 2年続けて同じ川で出会ったのだから、同じカワセミだと思う。ブログを読んでいただく方には申し訳ないが、カワセミの暮らしが誰にも邪魔されないように、これからも川の名前や住所を知らせることはないし、たぶん、写真を掲載することもないと思う。                      (2019.7.15 風狂老人日記)