馬車道の歴史 もう少し 詳しくご案内します。まず
現在の地図を示します。縦に大岡川が流れています。上が横浜港側です。
JR根岸線と市営地下鉄、首都高速横羽線が左右に走っています。
横浜の関内、桜木町エリアは埋め立ての歴史で語ることができます。
明治の地図を示します。大岡川に現在5つの橋が架かっていますが
明治期は3つしかありませんでした。上から 弁天橋、大江橋、都橋です。
弁天橋は、桜木町駅(横濱駅)と港を結ぶ当時の最も賑わった橋です。絵図の石橋でもわかります。
大江橋といえば 大阪が有名です。国の重要文化財にも指定されています。
横浜の大江橋も 関内エリアと駅を結ぶ重要な橋でした。この大江橋近くに明治時代「富貴楼」という料亭があり伊藤博文、井上馨、陸奥宗光 他多くのキーパーソンが料亭政治を繰り広げたといわれています。(今も変わりませんね)
もう少し 俯瞰してこのエリアを見てみましょう。馬車道が当時 最も大きな通りだったことがわかります。横浜港には現在の大桟橋(イギリス港)より馬車道と市街地を結ぶ(国内線?)港の方が賑わいました。港と商業地、住宅地を結ぶ大動脈が馬車道通りです。
馬車道近くの六叉路が「六道の辻」で、現在「勝烈庵」の横に記念碑が建っています。



