アダルトなサブカル系イラストレーターが子どもたちに受け入れられたお話。 | 恐怖のイラストレーター日記/ハマダミノル

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イラストレーターのハマダミノルです。
アート、音楽、映画、プラモデル、そして冷凍食品を愛しています。

以前にもこのブログで書きましたが、自分が会社を辞めてフリーのイラストレーターとして活動を始めたのは2003年ごろ。

 

出版社やデザイン会社に自分のイラスト作品を持参して売り込み営業を行なっていました。

 

一年間は思いつく限りの会社に売り込みまくろうと決め、一年続けてもメドが立たなければ、自分にはイラストレーターは向いていないのだろうと思い、諦めようと。

 

諦めたくないので一年間は本当に必死で営業に行きました。

ネットや書籍で出版社やデザイン会社の電話番号を調べ、アポを取り、日時を決めて会社に赴き、自分の作品をプレゼンする、という毎日。

 

昼間は売り込み営業、夜は売り込み時に見せる作品作りやポートフォリオの作成などが一日のサイクルになっていました。

 

「ひと月に20社周る」を自分に課せて一日に三社周ったりはザラでした。

そして一年間に240社の会社に自分のイラスト作品を見てもらったのでした。

 

自分より絵の上手い奴はゴマンといる。別のところで差をつけよう!と必死で売り込みに力を入れていたのでした。

 

これだけ活動していれば一年後には普通に仕事依頼が来るようになりました。

(実際にはもっと早くに次々と仕事が来るようになりましたが、営業活動のペースは一年間緩めませんでした。)

 

こんなに売り込みに周っても営業に行くことを避けていた会社が一つあります。

それは教育・児童書を専門とする出版社や編集部。

 

自分の絵柄は子ども向きではないだろうと、自己分析していたからです。

 

2005年〜2007年ごろは水着のグラビアタレントが表紙を飾るちょっとアダルトな月刊誌がコンビニの雑誌コーナーを占めていました。

 

表紙はグラビアタレントですが内容は猟奇殺人事件、超常現象、都市伝説、風俗事情などサブカルチャー的な要素が多く、もう私の絵柄のタッチにピッタリでした。

 

当時はまさにこのようなグラビア雑誌からの仕事依頼が大半を占めていたのです。

 

上の三点は2007〜8年当時の某雑誌の仕事で

描いたイラストレーション。

(雑誌はすでに休刊)

 

自分でもサブカル系イラストレーターを意識しており、このような仕事をとても楽しんで描いていました。

 

アクが強くて人物の表情が濃い絵を特徴とした私のイラストタッチは児童書からは敬遠されるだろうと思い、営業は避けていたのです。

 

しかし!サブカル系雑誌を中心に仕事をしていたある日、一本の仕事依頼の電話がありました。

教育系の媒体などを扱っているデザイン会社からでした。

 

小学生を対象としたイベントで子どもたちに配るカードにイラストレーションを描いて欲しいとのご依頼。

 

日能研さんのお仕事でした!

 

カードは全部で5種類。

表裏を合わせて合計10点のイラストレーションを私が手がけました。

 

私の昭和ノスタルジックを思わすような絵のタッチを気に入ってくれたようでした。

 

このカードゲームのお仕事をきっかけに引き続き、日能研さんの小学生向け通信教材の表紙絵を一年間担当することになりました。

 

 

そしてこの日能研さんのお仕事がきっかけで教育・児童書関連のお仕事が続々と依頼されるようになったのです。

 

そして子ども向けの仕事が一番楽しいと気付いてしまいました。

自分が大好きな怪獣やロボット、妖怪などを仕事で描く機会が一番多いのはなんと児童書なのです。

 

 

そして2020年現在、私は子ども向け中心のイラストレーターになったのでした。

人生、どう転ぶか分からないもんですね。

 

前置きがとても長くなりました。

駆け出しイラストレーター2003年当時は思いも寄らなかったサブカル系の私がこの度、二冊目の絵本を出しました。

津久井たかゆき。さん作の絵本「あとでやるよ」に私が絵を担当しました。

 

とてもだらしない小学二年生の男の子が転校してきた女の子の出会いによって心に変化が起こる成長物語です。

 

作者の津久井さんの実体験かな?今の時期にこの絵本を読むとなおさらジーンときてしまいます。

 

ぜひ、書店で見かけましたら手に取っていただけると嬉しいです。