月曜日朝7時半。

フレックスが認められている洋子の会社では週明けの憂鬱な月曜日に早朝出社する社員は少ない。

洋子はあえて静かなオフィスで仕事を片付け、そして、夕方に早めに退勤して浜学園に直接向かおうと計画している。

浜学園所属教室の教室長に立ち話的に、さりげなくVクラスへ上がる基準や悠斗の見込みなどをヒアリングしてみようと考えているのだ。

 

Hクラスの時は、特にそんな行動はしていなかった・・だけど・・西宮本校での説明会終わり、熱心な母親たちは廊下で講師を捕まえて質問をしていた。その様子を見てから、洋子は自分が受験生の母としての役割をちゃんと果たせていないと感じていた。

 

あの日、算数の講師のところには特に多くの質問待ちの母親たちが列を作っていたっけ・・・。私なんて、悠斗の勉強の課題に関する質問以前に、そもそもVクラスがどのくらいの偏差値?順位?点数?を取ったら上がれるのか、すらわかってない。さらにVクラス、Sクラスの生徒の進学先としてはどんなレベルの中学かすら知らないんだよね・・・。教室長に具体的な事例とか聞けないかなぁ・・・。

洋子はロッカーからKOKUYOのフリーアドレス用のバッグを出して、今日の席に座りながら考える。

 

もしも・・悠斗の母親がクリオネちゃんだったら、浜学園や中学受験の実体験もあるし、家庭教師や塾講師バイトで培った勉強教えるスキルも豊富だし、すごーく心強いよね。

ああ・・悠斗、私が母親でごめんね・・・。

 

洋子が肩を落としていると、後ろから

「よ・う・こちゃん!!何、しょんぼりしてるのさ!」

と言う声がして、いきなり椅子ごと背中をハグされた。

 

「その声、、そしてアラフォーの私を、まるで若い娘さんかのようにちゃん付けで呼んでくれるのは、我らが同期・ヤナギっち、その人ですね?」

洋子がふざけて振り返ると、新人の頃と変わらぬ片エクボを作った笑顔で同期の柳麻莉奈が「すごーい、正解〜!」と言って、小さく拍手していた。

 

「拍手・・仕草まで可愛いよ、ヤナギっち。入社時から総務の癒し系の女王と言われているだけあるわ。朝早いね?そして今日こっちのオフィスで仕事なんだ?」

「ありがと。でももうアラフォーのぽっちゃりおばさんだよぉ〜。あ、ぽっちゃりは昔からでした⭐︎

そうなの。株主総会の事前会議と、各部署の部門長に応援要員を出してくれーって頼みに来たの。ついでに私の退社のプレ挨拶もできるから一石二鳥。そうそう、同期の送別会の段取り、洋子ちゃんがしてくれたんだよね。ありがとう。洋子ちゃん忙しいのにぃ。やっぱシゴデキ女子は仕事早いなぁ」

 

「やめるって聞いて驚いたよ。寂しいよ。でもお子さんの受験もあるんだよね?」

「うん。上の子は高校受験終わったけど、次になんと下の子がさ〜、中学受験したいとか言い出してさ。大阪ってさ、高校になったら私立も授業料タダになるからさ、まぁいっかって。やっぱ私立の方が校舎とか見ても設備も全然公立よりいいし。オール公立で雑草として生きてきた私からしたら、私立じゃなくてもと思ったんだけど・・下の子、実はさぁ、小6になってから不登校まではいかないけど、荒れたクラスがしんどいみたいでたまに休むんだ。。仕事優先して母親としてケアできてなかったなぁって反省した。専業主婦になって、子供に向き合う良い母親になりたいわ・・・。それに・・・」

そう言って柳はキョロキョロと周りに人がいないことを確認して洋子の耳元で囁いた。

「もう総務の仕事も何一つ面白くないし、プレ更年期か知らないけど心身ともに疲れ果ててるっていう私自身の問題もあるんだよね・・」

柳は暗い瞳で俯いた。

 

「えー、笑顔じゃないヤナギっちなんて、らしくないよ!可愛い片エクボ見せてよ〜」

洋子はふざけた口調で様子を伺った。

「うん・・・そうだねぇ。まぁお金のこと考えたらやめない方がいいと思うんだけどさ・・。このまま会社いても発展がないというか・・・。でも!!洋子ちゃんは私と違ってシゴデキ女子だから、何も心配ないよ!あ、ごめん8時までに会議室の準備しとけって総務のバブル入社おじさんたちに言われているから、そろそろ行くね」

両手で胸の前でファイト!とまるでアイドルのようなジャスチャーをして柳が去った。

 

不登校・・・

悠斗も保育園も学童もフルに使って、学童に入るのが難しくなる小4の時、託児所的な役割にもなるからいいかなって思いもあって浜学園に入ったんだよね。。私、母親として、あんまり悠斗のことケアできてなかった・・。悠斗がたまたま健康で明るい性格だったから良かったけど・・それはいろんな偶然や幸運、悠斗の資質のおかげで今まで成り立ってただけかも・・・。

そんなことを洋子が考えていると

「佐藤さん、おはよう、今、ちょっといいかな?」

と声をかけられた。人事部の上司・岡野だった。

 

相変わらず、できるビジネスマン風の高そうなスーツを着ている。ネクタイは・・エルメスっぽいなと洋子は思った。

「おはようございます。今日も朝お早いですね。どうかしましたか?」

「さっき株主総会の応援を出すように総務から頼まれて・・、目黒くんにお願いしようと思っています。特に佐藤さん的には問題ないですか?その時期は業務都合でNGだったりするかなと思って、事前確認です」

「わざわざ事前にお声がけ、ありがとうございます。はい、大丈夫と思います。目黒くん、人あたりいいし、顔広いし、適任かと」

「ね。顔広いと言えば・・」

岡野がニヤリと笑っていった。「いつもランチ行く時、彼、いろんな部署の可愛い女の子引き連れて行くの見たことある?目黒ガールズって言われてるらしいよ笑」

そういえば、常田を病院へ連れて行く時も、エレベーター前でたくさんの女の子たちに囲まれていたような・・・洋子がそんなことを思い出していると、岡野が小さな声で

「僕には、そういうガールズはいないので、また、今度・・良かったら佐藤さん、ランチ付き合ってもらえますか?」

と言った。

 

え・・お花見に続いて・・ちょっと、岡野さんって・・めんどくさい人!?

洋子が困惑しているところへ

「おはようございます!!今日から復帰しました!!その節はご心配おかけして申し訳ありませんでした!!」

二人の背後から滑舌の良い大きな声が聞こえた。その声の大きさとタイミングに岡野がまるで漫画のようにぎくっと驚いた。

声の主は常田だった。

「常田さん!体、大丈夫?もう出社していいの?」

洋子は思わず、常田の元へ駆け寄り、常田の手を両手でぎゅっと握って言った。常田は

「はい。ありがとうございます。私・・あの日本当・・佐藤さんとたまたまご一緒してたから・・助かりました・・」

そう言ってポロポロと涙を流した。あの日の強気の彼女と同じ人物とは思えない。

「大変だったね、怖かったね、辛かったね」

洋子も思わず常田の背中をヨシヨシとさすった。いつも悠斗を励ます時にやることだ。

洋子がふと足元を見ると常田はスニーカーを履いていた。服装もふんわりとしたトップスとマタニティのパンツを着ている。ネイルもジェルがオフされて、短く切り揃えられている。バッグもブランドのレザーバッグではなく、コットンの軽いバッグを持っている。

「私・・今回のことで、反省しました・・。ちゃんと体のこと、気遣って・・赤ちゃんを無事に産みたいです・・それで・・佐藤さんをロールモデルにして・・良い母親になりたいと思っています・・」

涙を流しながら、常田が言った。

この子は、いつも強気で突っ張って働いているけど・・精一杯、必死で頑張ってる女の子なんだな・・・

仕事で無理させる会社でごめんね・・

なぜか洋子は罪悪感でいっぱいになった。

 

私なんかをロールモデルにしたらダメだよ・・全然良い母親になれてないよ・・

ワーママで母親の役割をちゃんと果たすのって難しいのかな・・誰か・・答えをください・・

洋子は常田の背中を優しくさすりながら、何かを探すように窓の外の高層ビル群を眺めた。

 

続く🏙️