この調子で2週間に一回ある塾のテストを目標に分からない問題を教えて、後で解き直させることを繰り返していきました。

 私の経営する個人塾は自習用の机が私の目の届く範囲に置いてあります。用事のある以外はほぼ毎回、授業の後に復習と必要な課題を勉強してもらうことにしました。
 
だいたい授業の始まりが5時20分過ぎで終わるのが7時前です。それから大体8時半くらいまでは残ってもらってました。
 ただし、残って勉強することにNちゃんが「え~」っと拒否反応をすることはありませんでした。素直に勉強していました。

 最初は算数中心で分からない単元の時は理科も教えて、とすると1時間半の授業を週2回でもほぼ時間はなくなります。この頃はまだ生徒も少なく、私も時間があったのでテストの前の日やテストの日の午前中に補習をして、最後の確認もしたりもしていました。

 やはり、やるべきことをやりきれば結果は出るものです。すぐにどん底だった点数が50~60点台の平均点のゾーンに入るようになりました。
先生の合格体験記Ⅲ~広島女学院合格S・Nさん~②

 早速、体験授業を兼ねて彼女の分からない問題を教えてみました。算数でした。分からない問題は標準的な練習問題の内の何問かでした。初めて教える時は、その子の考え方の傾向などが読めないため何種類か解き方を教えることもあるのですが、割とすんなりと「なるほど~」と理解してくれました。時間をおいて教えた問題をもう一度解いてもらうと、半分できて半分はまだ分からないという感じでした。

 これがもし貴方のお子さんだとしたら、どう感じますか?少し考えて見てください。















  どうでしょうか?お子さんにもよると思いますが、こう思いませんでしたか?「一度教えてもらって半分もまだ出来ないなんて!うちの子供だったら、絶望的だわ!」と。

 もしそう思ってしまうなら、お子さんが余程かしこいのか、周りのかしこい子のようにならねばと強迫観念にかられているのかでしょう。

私の感想はこうでした。「上出来。半分できるということは理解できてる。これなら伸びるな。」
皆さんに質問です。
塾の先生をしていて、どういう生徒が合格した時が一番うれしいでしょうか?
 これからお話する子はそんな生徒の一人です。

Nちゃんは、わたしが今の塾を開業してから初の生徒でした。最初の電話でお母さんからお話を伺った時、勉強嫌いで成績が落ちているのでは?と勝手に予測してました。(と、言うのもきちんと勉強をしていて成績が悪いと言う場合はあまり無く、大抵は勉強していないことが多いのです)

しかし、初めて面談してみて、彼女の分からない問題を教えてみて印象は変わりました。この子は努力はする子だ、と。

大きく分けて私は特徴ある生徒を努力型、才能型、万能型に分類します。努力型は理解力はそこまでないが、努力はする子。算数や国語の難しい問題は出来ないが、社会や理科の暗記はきっちりするタイプです。宿題はちゃんとこなします。また、先生の良し悪しをそこまで気にしない子が多い気がします。
才能型は、元々の地頭が良く、飲み込みが早いです。俗に一を知って十を知るタイプです。その反面、短時間集中すれば何とかなることが多く、追い詰められるまで努力することを嫌います。算数や国語は出来るのに、社会や理科の暗記でひどい点数を取る子はこのタイプです。また、見る目だけは厳しいので教師の良し悪しは見抜きます。反面、こちらが彼らの信用を得れば関係は続くことが多いです。 

お母さんとNちゃんに聞いてみると、宿題はちゃんとやるのだが算数を中心に5年生の後半から徐々に成績が下がりだしたそうです。
持ってきてもらった成績表を見ると、本当に徐々に下降線を描いていました。私のところに来た6年生の4月ごろの成績はK学習社で300名弱の内後ろから数十名という、悲惨な状況です。

「それで、志望校はどちらですか?」
「・・・恥ずかしながら女学院です。」

と、お母さんが言われたのを私は今も覚えています。 
先生の合格体験記Ⅱも完結したので、少し軽めの内容を単発で書いていこうかと思ってます。

最近の私の関心事は「生徒に国語の知識・語彙を教えるにはどうしたらいいか?」です。

最近、遅ればせながら気づいたのですが現代国語に出題される評論文は、難解な内容で高校生を苦しめていることで有名ですが、出題される意見の前提となる19世紀から20世紀までの思想会(論壇)の流行を前提として書かれてるものが多いのです。

そのため馴染みない人にはついていけない話になります。逆に言えば前提となる思想の流れをしれば読解はかなり容易になります。一度馴染んでしまえば「ああ、またこの話ね。」と難なくさばけるのです。

で、これを私は授業の中で生徒が持ってきた文章ごとに関連するテーマを教えているのですが、最近これを読めばわかるように書いてくれてる参考書はないかな~と探している途中です。

そろそろ生徒が来ますので(今は授業の前の時間です)一冊だけ紹介します。

石原千秋「教養としての大学受験国語」(ちくま新書)

ただし、Kくんは自他ともに認める、本番に弱いタイプです。その気の小ささから本番でパニックを起こして大崩れしなければいいが、どうだろう?と思っていました。
こればかりは性格的なものもあり、なかなか教師の力だけでは解決できないのですが、できる限りのことはしました。

最後の授業の終わりに
「・・・これで私の授業は終わりです。一年間ありがとうございました。」
「・・・!そうか、最後ですよね・・・(既に緊張し始めている)。」
「最後に試験での心構えを教える。君の合格に必要な点数は7割できれば万々歳というくらいだよな?」
「そうです。」
「では、分からない問題が少々あっても気にするな。7割ということは10に3つは間違えていいということだ。できない問題があったらその3つのうちだと思いなさい。」
「はい」
「そして、試験会場に入ったら『自分は神だ』と思いなさい。『神である自分が出来ない問題はみんなできるはずがない。自分ができてる問題の半分くらいしか皆できてない』と考えて超強気で行きなさい。」
「分かりました。」

私のマインドコントロールはうまくいったのかは分かりません。同じ話をしたIくんはいつもより良く出来たそうで、高知大学に受かりました。
Kくんはいつもより出来なかったですが、ぎりぎり勝負になる点数が取れたので少しランクが下とはいえ、山口大学に受かりました。

個人的にはKくんの勝負弱さから言えば、これでも上出来ではないだろうか?と多少都合良く思ってます。
私の指導は、自転車の補助輪に似ていると思います。基本的には彼の頭で考えて進んでもらいながら要所では詰まったところを支える。こうしていくとだんだんと読めるようになって行きます。

Kくんは急速にではありませんが、確実に国語の正解率が伸びていきました。秋以降の英語の成長は微増でしたが、国語は大きく伸びました。(まあ、元が悪かったので伸びシロがあったのですが。)
ある時など、センター模試で160点を取ったこともありました。調子が良かったとは言え、勘では取れない点数です。

冬休みに入って、私の中での予想は(上手くいった場合で)英語140点、国語120点でした。しくじってもそれマイナス2~30点くらいだろうとは思っていました。

冬休み前くらいには、Kくんには自分の行きたい大学(彼の一次志望は埼玉大学でした。)に必要な合格点を計算させ、そのためにどの科目で何点取るかの計画を立てさせました。
彼の場合は、数学が得意科目で、地理も7割くらいとれるので、後は英語と国語が大崩れせず、普段並みの点が取れればまあ大丈夫だろう、と思っていました。
 
 また、彼自身にも自分はどの科目で何点くらい取れそうで(もしくは取らなくてはいけないか)あるかを紙に書き出させました。
 そしてその前後に調子が良ければ取れる数字と、調子が悪い時の調子も書かせました。
 大体、僕が思ってるのと似た数字でした。調子が良ければ、本命が合格ライン。悪くてもどこか若干難易度の低い地方の国立大なら受かる点数でした。

KTくんの話は次回が最終回です。
国語は理屈だと言っても、じゃあどうすれば生徒は読めるようになるか?

細かい指導技術や要点はあえて書きません(正確にはとても書ききれません。その内時間のある時に私の指導を書いてみたいですが。)。

私には一つだけあります。実際に出題される文章を読んで問題を解いて来させて、私が教えるのです。
その際に、集団授業では一方的に文章を解体して意味を教えていくだけですが、個別指導で教える際にはその子がどこまで理解できてるか?どこから理解できなくなったか?探っていきます。
具体的には、「ここはどういう意味なの?」と質問して答えさせます。

Kくんは割と素直に「ここら辺から良く分からなくなったんですよ~」とか「先生、この文章チンプンカンプンでした。」と言ってくれます。
(断っておきますが、Kくんに能力が無いのではなく、センターの国語はそのくらい難解な内容が出題されます。大人が読んでも普通は意味が分からなくなります。)

 彼が理解できなくなった部分を場合によっては解説したり、ヒントを与えて考えさせたりします。そしてそこが理解できた上でその部分に関連する間違えた設問を考えなおさせるのです。

すると、分かってみると自分が選んだ答えが大外れで、考えなおした答えが正解であることが分かります。
この状態が本当に理解できた状態だと思っています。
もちろん、正解には丁寧な解説がついているのですが、それを読んで納得できる子はまずいません。そういう子は国語を教えなくても自分で勉強できます。
ところが、国語はセンター試験で200点配点があります。英語200点、数学2科目で200点、社会一科目100点、理科2科目で200点(学校によっては一科目100点)が標準的な国公立大学の理系学部を目指すK君の配点ですが、そのうちの4分の一くらいが国語で決まります。

ちなみにこれは特殊例ではなく、推薦入学以外で数学・国語・英語が科目にない国公立の大学はまずありません。

さて、国語はセンスで決まるから教えようがないとか、どうやって勉強したら伸びるか分からないと言う俗説が、世間では信じられています。

全く違います。入試と言う能力を点数と言う客観的な数字に換算して判定するものにおいて、センスやら感性が入り込んでは困ります。
もし、そういうセンスや感性を試すのであれば、小説を書かせてその善し悪しを審査員が判定するような試験になるでしょう。

国語とは言語と文章の試験です。言語とは客観的な文法というルールと意味の定まった単語から成り立ちます。きちんと書かれた文章は読む力のある人が読めば、必ず同じ意味が取れます。読む人によって意味が全く異なる文章など、ほとんどあり得ません。小説には多少そういうことも部分の解釈では起こりますが、説明的な文章で言っている内容が読み手によって変わるようでは、それは説明文とは言えません。

そのため、特に説明文においては言いたい内容をきちんと伝えるために筆者は細心の注意を払って文章を組み立てます。そして、説明とは理屈で行うものですから、きちんとした理屈の順序立て、つまり論理(ロジック)によって文章は構成されます。

つまり国語と言う科目は理屈で成り立っているのです。

読めないのは、文学的センスではなく、説明されている理屈を理解する力が足りないのです。
思えば、国語と言うのは不思議な科目です。
 小学校までは算数と並ぶ主要中の主要科目です。中学入試でも最近では理科・社会の配点より国語・算数の配点を高くする学校が多いですが、そのくらい重視される科目です。

 
 それが、なぜか中学校に入ると主役の座を英語に取って代わられます。優先順位的には社会と理科と同じかそれ以下の位置に落ちます。
 そして、生徒たちはあまり国語を勉強しなくなります。口々に「英語と数学をまずやって、理科と社会も覚えないといけない。国語は漢字はちゃんと覚えるけど、文章の問題は何をすればできるようになるか分からない。」と言い訳しながら。

 そして高校になると中学で無視された国語の逆襲が始まります。まず、古文と言う、現代では使い道の無い文章を読むために「覚えろー!」とネチネチと小テストを繰り返す教師に、動詞や助動詞の活用形、助動詞の判別、古文単語を詰め込まれます。
そして、古文の授業は以後3年間は苦痛の種でしか無くなります。
 私の見てきた限りでは、高一の夏休みが過ぎたころには既に大量の古文嫌いが量産されているようです。
 実際、古文が得意だ・好きだと言う生徒にあったことはほとんどありません。



相当長い間更新が滞ってすいませんでした。多忙を言い訳にしてはいけないと思いつつ、ついサボってしまいました。

 急がば回れと言いますが、やはり私にも焦りがあったのかもしれません。正直に言えば、夏休み明けには140点くらいを確実に取れる実力をつけて、他の科目へ力を注げるようにしたかったのです。

 フォームの崩れた生徒たちには、基本に立ち返って、何度読み返してもいいし、時間を気にしなくていいから徹底的に丁寧に読解せよと、指示して解かせました。
 基礎的な読解力と読解の精度を向上させることで、最終的には読解力がついた分だけ速く読めるようになるだろう、と目論んだのです。
 これは予想通りに行きました。もちろん、そんな急にではありませんが、K君とI君のセンター問題を解く力はじょじょに向上して行っている感覚が戻ってきました。

 秋以降、K君の授業が週に一回から2回に増えました。これは、彼が実は国語が英語以上に不得意であることが判明したからです。そこで、週に1回国語も授業することになりました。

次回以降、多少省略しますが、センター国語の攻略の話をします。