静かすぎて不気味なシデク(夫の実家)in 仁川(インチョン) | あくまでも私的な韓国

あくまでも私的な韓国

2008年、韓国生活とブログが、ほぼ同時にスタートしました。2021年の肺癌手術を経て、終活を念頭に置きつつ、日々を生きたいと思っております。

最近、シデク(夫の実家)の話を全く聞かない。

 

平和でいいと言えばいいのだが

 

北朝鮮関連のニュースを観ていたら

 

ふと、シオモニのことを思い出した。

 

何をやってあげても感謝しないシオモニ。

 

まるで、北朝鮮の誰かさんのように。

 

 

唯一私が記憶しているのは

 

シオモニが歯の治療費が払えなくて泣きついてきた時に

 

夫がすっとぼけて、帰り際にようやく治療費を渡した時。

 

あの時も「ありがとう」じゃやなくて

 

初めてシオモニの嬉しそうな表情を見たので

 

言われたと勘違いしたのかも知れないという程度なのだが。

 

 

私が最後にシオモニに会ったのは4月の初め。

 

義兄が長い放浪の果てに実家に戻ったので

 

会社名義で契約したオフィステルでは

 

住民登録ができなかったことから

 

実家の住所を借りていた私たちの存在が

 

邪魔になったようで

 

「高いオフィステルになんか住んでないで

 

ビラにでも住めば」と言われた時だった。

 

幸い、家主の方針が変わって

 

オフィステルで住民登録ができたので

 

住所を借りる負い目から解放されたうえ

 

義兄にお金が渡ってしまう心配から

 

シオモニへのお小遣いも一時ストップして

 

メリットの方が多かったので

 

結果オーライだったのだが。

 

 

あの時の交渉の仕方も今の北朝鮮を思い起こす。

 

大きな声で私たちを非難したのはシオモニだったが

 

そうさせたのは、おそらく義兄だろう。

 

母と息子、妹と兄の違いはあるが。

 

 

あれから静か過ぎる。

 

経済力のない義兄と住んでいるのだから

 

シオモニは大変なはずなのだが。

 

 

想えば、義兄はつかみどころのない人だ。

 

初めて会った時の印象は「優しそう」だったが

 

若い頃、弟である夫のクレジットカードで

 

バイクを買って、支払は弟に丸投げしたことがあり

 

夫は実の兄を全く信用していないと分かった。

 

義兄は幼稚園児の娘二人を実家に残して失踪したり

 

10年ぶりくらいに現れたと思ったら

 

夫に義兄の娘の大学の入学金を払えと言ったり

 

しかも、後で分かったことだが

 

当の長女は義兄とは血のつながりがなく

 

奥さんの連れ子だと分かって2度驚いたこともあった。

 

その後、何年かぶりに会った時の職業は何と「歌手」。

 

YouTubeを検索したらあると言われた動画には

 

お世辞にも上手いとは言えない歌を

 

何かの集会で歌う義兄の姿があって唖然とした。

 

 

最悪のシナリオとしては

 

義兄がシオモニが住む部屋を担保にお金を借り

 

例のごとく払えなくなり

 

シオモニが路頭に迷って

 

仕方なく私たち夫婦と同居する、だろうか。

 

義兄の行動パターンは予測不能。

 

心の準備だけはしておいた方がよさそうだ。