「一回でいいから何か歌ってよー」
さっき立ち寄った町で若い母親が赤ん坊をあやすのに歌っていた子守唄を聴いてから、ウィルの興味は歌にあった。母親が歌を歌い始めると、うるさく泣き叫んでいた赤ん坊がだんだん泣き止んでいく。そんな姿を見てウィルは不思議に思った。人間はなんて不思議な魔法を使うんだろう。ペニィに聞いてみたら、それは子守唄といって母親なら誰でも歌う珍しくもなんともないものらしい。
「嫌だ。歌わない。ねえ、うるさいからちょっと静かにしてて。」
それ以来二人の会話は、ウィルの「歌って」というおねだりとペニィの「嫌だ」という拒否の繰り返しである。
「なんだよ。ちょっとくらいいいじゃないか。ペニィのケチ!」
「そうだよ。私ケチだもん。もういい加減黙って。ほら、もうすぐまた人が増えてくるから。」
次の町が見えてくると、ペニィは一度足を止めた。右肩に乗せているウィルを片手でつかんで、腰にぶら下げているポーチの中に押し込む。妖精であるウィルが誰かに見つかって騒ぎになると困るので、人の多い場所を通るときはいつもこうしていた。
「こっちだと揺れて酔っちゃうから嫌なんだよなー。」
ウィルがポーチからヒョコッと顔を出した。いつも人が来るとウィルは器用にポーチの中に隠れるので、ポーチから少し顔を出すくらいはペニィも大目に見ていた。小さな喧嘩を繰り返しながら、ペニィとウィルはこんな調子で旅を続けていた。
騒ぎに最初に気付いたのはペニィだった。町外れの空き地で、ペニィと同い年くらいの男の子4、5人が、中に1人を取り囲むようにして集まっている。取り囲まれた男の子は、1人だけ地面にうずくまっていた。ペニィが道を歩きながら横目で見ると、一番体の大きな少年がうずくまっている男の子を蹴飛ばした。
「ペニィ、大変だ!あの子、いじめられてるよ。早く助けなきゃ!」
騒ぎに気付いたウィルがポーチの中から叫んだ。
「嫌だよ。なんで私がそんなことしなきゃいけないの?」
「だって、かわいそうじゃないか!」
ペニィの素っ気ない返事にウィルは怒った。そんなウィルに対して、ペニィもだんだんイライラしてきた。ペニィは自分でも気付かないうちに足の動きを速めていく。
「だったら自分でやればいいじゃない!?私にばっかり頼んでないで自分で行ってあの子を助けてあげたら?」
ペニィが声を荒げると、ウィルはポーチの中に半分顔を隠した。
「そんな…僕じゃ無理だよ。あんなに大きな奴ら相手に、何もできないよ…。」
ウィルの声は、だんだん小さくなっていった。
「だったら最初からそんなこと言うな。ウィルのバカ。弱虫。」
ペニィが言うとウィルは完全にポーチの中に隠れて、それから黙り込んでしまった。
さっきの二人の口喧嘩から十数分、二人の沈黙を破ったのはウィルだった。
「やっぱり僕、さっきの男の子のところに戻ってみるよ!ちょっと待ってて。」
ウィルはポーチから飛び出すと、器用にペニィのスカートをつたって素早く地面に降りた。
「ちょっと、今から行っても遅いって!ほら、誰かに見られるといけないから早く戻って!」
ペニィはあわててウィルを捕まえようとするが、ウィルは素早くペニィの手を避けて走り出した。
「もう知らない!私待たないからね!ウィルのバカ!お前もいじめられて死んじゃえ!」
離れていくウィルに向かってペニィが叫んだ。ウィルは振り返らずに走りながら、ペニィに負けないくらいの声で叫ぶ。
「妖精はそんなに簡単に死なないよ!」
走り去っていくウィルの体は、かすかにオレンジ色の光を発していた。ペニィがウィルの光を見たのは、森で初めて出会った時以来だった。
町を一通り見て回ったら、ペニィは安い宿を取った。この町のように富裕層と貧困層がはっきり分かれている町での野宿は危険が多い。それにもうすぐ雨の降り出しそうな空も気になった。今日はこのままこの町に泊まり、明日の朝に出発するのが安全だ。ペニィは旅の中で少しずつこうした知識を身に付けていった。部屋に入ると、ペニィはベッドに寝転がって財布から小さな包み紙を取り出した。包み紙に丁寧に包まれているのは、ウィルからもらった白詰草だった。もしも、ウィルの方から自分を探しに来て、ウィルの方から謝ってきたなら許してやろう。
「ウィルのバカ…。」
ペニィがつぶやいた時、窓の外では雨が振り始めていた。
ウィルが空き地に辿り着いた時、残っていたのはいじめられていた男の子一人だけだった。男の子はウィルを見て最初は驚いたが、ウィルがここに来た理由を一生懸命話すとすぐに打ち解けることができた。男の子にとっては、ウィルが人間でも妖精でもどっちでもよかった。誰でもいいから、話し相手が欲しかった。雨が振り始めると二人は雨の当たらない場所に移動して、雨宿りをしながらお互いのことを話していた。
「そしたらペニィは僕をポーチの中に無理やり押し込むんだ。ティムだってそんな狭くて暗いところに入るのは嫌でしょ?」
男の子の名前はティムといった。ティムはウィルの話を聞いて、何かを決心したように口を開いた。
「ねぇウィル、そんなひどい奴と一緒に旅をするのはやめて、僕と一緒に行こうよ。僕が君を西の塔まで連れて行ってあげる。僕とウィルなら、きっと楽しい旅になるよ。」
ウィルはほんの少しだけ間を開けると、やさしく微笑んで答えた。
「ありがとう、ティム。でも、僕はやっぱりペニィと一緒に行くよ。」
ティムはウィルの返事に納得がいかなかった。
「なんで!?なんで僕よりそんな奴の方がいいの?きっとそいつ、魔法の石の願い事だって自分で独り占めするつもりだよ!」
ティムが大きな声を出すほど、ウィルは落ち着いていく。ウィルの気持ちは、旅を始めた時から変わっていなかった。
「だって、ペニィと約束したんだ。ペニィが僕を連れて行ってくれるって。僕もペニィの願いを叶えてあげるって。」
ティムにはウィルの答えが信じられなかった。まさか自分が断られるとは思わなかった。悔しくて、恥ずかしくて、ティムはすぐにその場から消えてしまいたかった。
「僕もう行くね!雨ももう止んじゃったし。」
ティムは早口で言うと走っていってしまった。ウィルが引き留めようとしても、ウィルの声はティムには届かなかった。
「行っちゃった。」
ウィルがつぶやいた時、ウィルは目の前に一人の人間を見つけた。息を切らして傘と小さなタオルを握りしめている女の子。ウィルが見つけたのはペニィだった。
いつの間にか、雨は止んでいた。
「探しに来てくれたんだ。ペニィにもやさしいところがあるんだね。」
「だって、雨、振り始めたから…」
笑いながら言うウィルに、ペニィは小さな声で答えた。ウィルに一言「ごめんね」が言いたいのに、どうしても言葉が出てこない。
「でも、雨止んじゃったね。ほら、見て!」
ウィルはペニィの後ろを指差した。ペニィが振り返ると、そこには夕陽でオレンジ色に染まった空があった。
「きれいな夕陽…。」
思わずペニィが声を漏らした。
「へぇー。ペニィでもそんなこと思うんだ。」
ウィルがからかうように言う。
「…当たり前じゃない!夕陽を見てきれいって思わない人間なんていないよ!夕陽を見てやさしくならない人間なんていないの。そんなことも知らないの?」
ペニィは照れ隠しで大きな声を出す。そんなペニィの言葉を聞いて、ウィルはもう一度夕陽を見た。
「そうなんだ。すごいんだね。夕陽って。」
目を輝かせて夕陽を見ているウィルを、ペニィは初めて出会った時のように両手でやさしくすくった。そしてそのまま、腰のポーチではなく、右肩にウィルを乗せる。
「ほら、行くよ。」
ペニィの右肩にウィルの体重がかかる。右肩からウィルの体温を感じる。ペニィは、なんだかひどく懐かしい気がした。いつの間にか、この重さが当たり前になっていた。いつの間にか、この温度が当たり前になっていた。そしていつの間にか、この距離が当たり前になっていた。夕陽に向かって歩き出しながら、小さく「ごめんね。」とつぶやいてみる。この距離だとウィルに対して自然と素直になれる自分が可笑しくて、ペニィは少し笑った。そんなペニィの横顔を見てウィルはペニィのことを夕陽よりもきれいだと思ったが、言葉にするのはやめておいた。オレンジ色に染まる町の中を、二人は静かに歩いて行った。
(つづく)
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原作楽曲:山瀬亜子『ついのすみか』