いつからか

自分を決めつけることが
怖くなった

放送なんかでの自分語り
Twitterでの悟りポリシーめいた
ものもの

無意味に そう 
とても無意味に無意識に


自分をよく分かっている自分が
誇らしかったのかもしれないな
Maybe
そうではないところもあるけれど


ただそれで良かったことって
今思うとそんなにあったか?


そのように生きねばと
鎖と化したそれで
自分を勝手に縛り付け

気まぐれに
考えや好みが変わるものなら
私の思う私ではないと
どこかでもどかしく恥ずかしく
後ろ指を恐れていた



むしろ食わず嫌いで出会う縁が
なかったにすぎず
あれは苦手これは嫌だなんて


飛び込めばすんなりと
変化してく自分がそこにはいた
驚いた


恋人のお陰様ってのは大きい
連れ回されて味あわされて
意外に "悪くないもんだな"って
感じる事が多かった


さてそうにもなってくれば


歳重ねるほどに
ゲシュタルト
ガラガラと崩れる
錆びと共に壊れ落ちる

かたちは
あんなに美しかったのにな
整然としていて
眩しいほどひたむきで


偏りたくないが故
目を凝らすたくさんの他人の
アイデンティティ
高みの見物

その眼に映る私の実像こそ
偏屈だったのかもしれない


私は毎日沢山のものを知る

純粋な知識欲に
時折厄介にまとわりついてくるもの
好奇と嫌悪と対抗心と卑下


そしてせめてもとばかりに
律するべく
自らも彼らと同じだと締めくくれば

じゃあ一体何の輝きを
我は求め進むべきか、と彷徨えば

いつしか
このような

刹那の本能に身を任せる獣が
出来上がってしまった


響かない
響いてもひと時
瞬く間に別人のような脳にシフト

考えれば考えるほど
確かに信じていいはずのものが
不確かに変わる

分からなくなる
だから考えない
極力 身に心を委ねる
有難くとも 時折悲しくもある



ゲシュタルト崩壊


これが今の私の病原菌



体は正直

けれど

委ねすぎた今

人たる何かを失っている


つまり理性 感情の抑制

自分の"意思"とは別の何かが

私を飲み込もうとしている時

人との関わりを"遠慮"したくなる

実害すら発生するものだから。