今日、さっき、私の気導術の直属の先生が大腸がんで入院してたのはしってましたが、2週間前にお見舞いにいったんですが、
今日も、お見舞いにいこうと病院の看護師から、どこの部屋にいらっしゃいますか?と聞いてもここに入院していませんとしか言ってくれない。
娘さんに電話して聞いたら「父が亡くなりました」と言われました。
信じられない。
直々に気導術のテクニックを教わり、毎月一度の、博多駅近くの
会場での、気の教室に連れてってくれたり、高級車のプジョーの
真っ赤なオープンカーで連れってくださり
私が気導術を習得し、脱サラで、整体とカウンセラーの開業をした時には開業の祝いのお花をいただいたり、
ホテル旅館での整体マッサージの仕事を下さったり、
本当に優しい方でした。
私に言った、最後の言葉が「ごめんね」でした。
まだ受けいられない。今度、お焼香にいってきます。
こないだは、愛犬が亡くなり。次は師匠がなくなり、この先も、
どんどん、別れをしていかなくてはならない。
でも、それはネガティブにかんがえてしまうと、自分の魂が弱まっ
てしまい、哀しみだけがその感情に纏ってしまいます。
追悼の意を手向けるのは、大事なことです。
私自身、まだ事実を受けられていません。
でも、わたしたちは懸命に生きています。
最終的には、死ぬまでに何ができるか。何を遺せるか。
身体は死んでも、魂は死にません。
誰も、いつかは死ぬんです。
さからったて、いつかは誰も皆、死んでいくんです。
生きている間は、人間らしく、自分らしく生きていく。
死んだら、夢も希望もなくなる。誰も皆、灰になるだけ。
死んだあと、それまで後継者を遺せるか、生きた証を遺せるか否
か。
私は人が亡くなるのをこの目で、何も人の死に際と亡くなった方を見てきました。
それを見るたびに、自分は生きなきゃと思うのです。
近々、お焼香をさせていただきます。その際に、こう祈ります
「これまで生きてこられて、本当にありがとう。黄泉の国では、どうか幸せでありますように。」
と、哀悼の念を伝えてきます。