手洗い、確認、順序や数字。どうしても決められた通りにならなければならない焦りがある。焦りに迫られている。なぜ、そんな焦りが始まって在り続けるのか、その記憶がない。そして、不潔だ、火事が多いから確認すべき、悪い数字は風水的に良くない、と、焦るべきもっともな理由が、幾らでもわいてくる。

視界は狭くなり、惨めさと情けなさが積もり、解決を拒むかのように話は複雑になる。

自分で苦痛を形成し、自分でも疑問な動きをプログラムする力が人間にはある。きっと、その力を逆向きにも利用できる。

家の床が抜ける程のレコードを集め、聞きたおし、名曲を生み出すシュガーベイブな英雄がいる。魚の名前と生態を覚えるのが止められなくなったおかげで、海洋学の世界で居場所を見つけた人もいる。

話が単純で、今したいこと、すべきことの的がはっきりして、生きることが楽しく、世界が開いているなら。理由もわからず止められないことをやり続けることに、幾らでも理由はあっても良いと思う。

なんでブログを書いているのか、よく分からないけれども、文章を書くのはとても楽しい。そして、この癖のおかげで、認知症になるのが、少しだけ遅れると思う。