スマホの画面を親指一本で延々とスクロールし続け、15秒の動画を次々と消費する人々。世間は彼らを「ドパガキ(ドーパミン中毒のガキ)」と呼び、冷笑を浴びせる。しかし、その嘲笑は大きな誤解に基づいている。彼らは「快楽に溺れている」のではない。「渇望に追われている」のだ。
ドーパミンという神経伝達物質の本質を巡る誤解は深い。世間一般では「快楽物質」と持て囃されるが、脳科学の知見(ケント・ベリッジらの研究など)は真反対の事実を提示する。ドーパミンが司るのは「Liking(好み・快楽)」ではなく、「Wanting(欲望・欲求)」である。前者はオピオイド系やエンドカンナビノイド系といった脳内物質がもたらす満たされた充足感だが、ドーパミンが生成するのは「次を獲得せよ」という渇きそのものに過ぎない。ドパガキが次のショート動画をスワイプする瞬間、脳内で快楽の花火が打ち上がっているわけではない。単に「何かが得られるかもしれない」という予期によって、衝動のエンジンが空ぶかしされているだけだ。
この現象を進化心理学の視点から紐解けば、ドパガキの行動は極めてロバストな遺伝子プログラムの暴走だと分かる。人類の祖先がサバンナを徘徊していた頃、環境の報酬(熟した果実や獲物)は気まぐれにしか手に入らなかった。そのため、不確実な報酬を前にした際、ドーパミンを大量放出して行動へ駆り立てる個体こそが生存競争を生き残った。私たちは本質的に「可変報酬アルゴリズム」に抗えないバイオメカニズムを搭載している。現代のアルゴリズムエンジニアたちは、この古代の生存本能を最先端のテクノロジーでハックしたに過ぎない。ドパガキとは、超高度な刺激のハッキングシステムに適応しすぎた「最も忠実なサバンナの生き残り」なのである。
さらに行動経済学の観点は、この不可解な行動の経済的非合理性を解き明かす。行動経済学が示す「現在バイアス」と「双曲割引」により、人間は遠い未来の大きな報酬(読書による深い教養や長期的な成長)よりも、即座に手に入る小さな報酬(15秒のくだらない動画)を過剰に選好する。さらに厄介なのは、ドーパミンがドライブする「Wanting」には限界効用低減の法則が急速に適用される点だ。動画を見れば見るほど快楽(Liking)は摩耗し、虚無感が募る。しかし「Wanting」の要求だけは強まり続けるため、需要曲線が歪んだまま「つまらないと分かっているのにスワイプを止められない」という悲惨な過剰消費ループが完成する。
ドパガキを「快楽主義の落とし子」と見なすのは明確な誤りだ。彼らは満たされているどころか、終わりなき「欲しい」という渇望の罠に囚われた悲劇の永久機関である。そして、画面越しに彼らを冷笑している大人たちもまた、形を変えたドーパミンの奴隷に過ぎない。現代社会という巨大な実験室において、私たちはみな、終わりのない回し車を走り続けるネズミなのだから。