事実と“誰かの意見”、そして伝え聞くことがら | "ナレッツェリア"

"ナレッツェリア"

ビジネスの智恵工房

仕事をしていても、震災の報道を通じても

何が事実で、何がヒトの意見の表明なのか?
何がヒトから聞いたことなのか?

はっきりしないトキがある。

『福島原発5号機、ポンプ故障で一時冷却不能に 』これは新聞報道だが、事実だろうか?
違う!叫び
これは東京電力が29日に発表したことを新聞社が聞いたことを新聞に
書いたのだ。

『菅総理はサミットで、日本のエネルギー政策について、自然エネルギーが電力量全体に占める割合を、西暦2020年代のできるだけ早い時期に、現在の2倍以上の20%以上まで引き上げる』と表明したが・・これは菅総理の意見(価値観からでた発言)

『東京電力は28日、福島第1原発敷地内で、3月11日の地震発生後から同月17日までに測定していた未公表の放射線量データ計1509項目を発表した。・・・中略・・・
 発表されたデータは、公表済みの10分ごとの測定値の間を埋める2分ごとの値などが含まれ、敷地内の最高線量は3月17日午後3時55分の事務本館北の毎時3699・0マイクロシーベルト。敷地境界付近での最高は「正門付近」の毎時3509・0マイクロシーベルト』
これは東京電力発表した内容の伝言だが・・・発表されたデータは事実(らしい)

怖いのは・・ヒトの価値観から生まれた意見を、あたかも「事実」と誤解したり
ヒトの価値観を疑うことなく鵜呑みにしたり

自分を見失うことだ。目


仮に復興支援に財源が不足しているとして、ヒトの価値観によって
合格『増税』が必要だと判断する
むしろ規制緩和や税制優遇などの措置を優先すべきと判断もある

大切なのは、何に、どの程度足りないのか「事実」を明確にしていくこと
その事実を隠さず、とりうるオプションを複数明確にすることだろうね。

その上で、国民が判断すべきだね。


ご存知、ハーバート・サイモン(Herbert Simon)は著書『意思決定の科学』
で意思決定とは「諸前提から結論を引き出す」過程であり、
この前提は「価値前提」と「事実前提」の2つに区分されると指摘した。

「価値前提」
 経験的な検証が不可能である倫理的命題に対応し、その「正しさ」は主観的な人間の価値の観点から意味を有するものであると説明している。

一方で

「事実前提」
 観察しうる世界とその動きである事実的命題に対応し、その「正しさ」は客観的、経験的真実を意味している。

つまり、30年以上前から
「事実」は何か?
ヒトの価値観に依る意見は何か?

常にこれを踏まえた判断が必要と教えている。

けっこう、ムズカシイね。