さて、本日の事です。
私にとって雲の上の人と思える人がいるのですが

「○○君はどんな仕事をしてるんだ?」と
突然その人から声をかけられました。
「広告の仕事をしてまして・・」
と答えたのですが、私は当然その人の事を知ってはいるのですが
なぜ、私の事を知ってるのかはとても不思議でした。

「なぜ私の名前を知ってるのですか?」と尋ねたところ
「俺にはいろいろな所に目や耳があるからな」と言われました。
これは私にとってはとてもうれしいことで
「見てくれてる人がいるんだ」
そう思わせてくれる人は何にも代えがたいなぁと感じました。

そして私も同じように、目配り気配りをできる人にならなければと思いました。

さて、昨日は綿矢りさの新刊を読んで良い気分になった。

ふと思った、綿矢りさの小説はきっと音楽なんだろう。
彼女の小説は決して、感動的な物語ではないし、実はまったくもって日常にありそうな事を書いている。
教訓めいたものはなく、ましてやお仕着せがましい感動なども一切ない。
内容が強烈に頭の中に残るわけではない、
それなのに、どうして彼女の小説の人物の心に、ここまで共感できるのだろう>
彼女はきっと私達の心の声を
活字という音楽にのせて奏でてくれているのだと思う。
私たちが実は共通に抱えている言葉にできない感情
それを芸術的にまで美しく奏でてくれているからこそ
これだけ心の残るのではないだろうか?

良い気分だ。
こんな日はめったたにあるもんじゃない

珍しく一人で家で飲んでいる。
そして、幸せなのか、現実逃避なのか自分でもよくわかっていない。

こんな日のブログを後で読み直したら
恥ずかしいのだろうか>?
それすらよくわからない。
ただ、今の自分にとって、
実はこんな時の方が本当の気持ちを出せている気がする。

楽しい?
苦しい?
よくわkらなあい。

幸せ?
不幸せ?
よくわからない。


そう、よくわからない。

でも今日は良い気分になりたいんだ。

大好きな運動をし
大好きな素朴なごはんを食べ
うまくいったはずの一日
最後には素晴らしい小説を読んだ。

自分は社会の経済活動を活性化するために生まれたわけではない。
最終的には自分が納得できる形でこの世を去りたいんだ。

あぁ