腎臓移植から2年
2022年11月8日に腎臓移植をおこない、今日でちょうど2年が経ちました😄
今も1ヶ月に一度、腎臓の検診で新宿へ通っていますが、今月も一昨日に検診したところ、移植後から低下することなくeGFTを40(健康な腎機能の40%)と保つことができました。
有料老人ホームに入所している母にも報告しに行きました。
相変わらずの様子ではありますが、施設のスタッフさん言うには心身ともに以前より安定しているとのことです。
今でもネガティブに思う気持ちは沢山ありますが、とにかく何よりも腎臓を譲ってくれた母への感謝の気持ちでいっぱいです。
悲しい・・と思う気持ちもありますが、いてくれるだけで確実に心の支えになっています。
そして、手術後の入院生活で感じた、生きていることこそが幸せなんだという気持ちはいつまでも持ち続けたいです😄
母が倒れてから一年
4月25日、母が脳梗塞で倒れてからちょうど1年が経ちました。
この1年、長かったと言えば長かったし、短かったと言えば短かったし。
いじめとか倒産とか腎臓病とか、自分事の苦しい思い以上に辛い気持ちになりました。
今でもあらゆるシーンで母のこの上ない明るい声で話かけてくれる残像を見ます。
けど、その残像を苦しい気持ちではなく、前向きな気持ちで受け入れることができるようになってきました。
家族含めて少しずつですが前向きになれるようになってきて、これまで定期的に外食に出かけたりもしていたけどこの1年はそんな気持ちにもなれなかったけど、きっと母に聞いてみたら明るい声で「行ってきなよ!」って言ってくれると思うから、今週末は家族で家で集まって食事をする予定です。
実家のトイレにはおそらく新築した30年前くらいから日めくりカレンダーが画鋲で止まっています。
いつも欠かさず母が朝めくってくれていました。
あの日も朝、このカレンダーをめくってくれたのだろうって。
その日めくりカレンダーは、この1年、ずっとこのままでいます。
このトイレに行くと、あの日のことを思い出しますが、おそらく実家にいる家族も同じ気持ちで、あえてめくらないのかなって。
そのカレンダーの坂村真民氏による詩には、「念ずれば花ひらく」と書かれています。
~~~
念という字は「今」と「心」に分けることが出来る。
今なにを思い、今なにを念じているかが、明日のあたなの花なのである。
~~
これからも念じ続けます。
こんな状況にはなってしまったけど、今も老人ホームに入居して生きていてくれていることが、何よりも自分たちにとって支えなのだから。
腎臓移植から1年
久々のブログ更新。
2022年11月8日に腎臓移植をおこない、今日でちょうど1年が経ちました。
移植後から数値の低下もなく今を迎えることができ、いろいろと支えてくれた家族、そして激励してくれた友人たちに感謝です。
そして何よりも腎臓を譲ってくれた母に感謝の気持ちを伝えたいです。
お母さん、ありがとう。
手術の後、自分じゃ何も出来なくて、傷口が痛すぎて寝るのも苦しく、寝がえりも出来ず床ずれができ、それから少しずつ出来ることが増えてきたことに感動の日々でした。
移植の手術を経験し、心の底から「当たり前なことが当たり前じゃないこと」を感じました。
平井 大 / 題名のない今日
https://www.youtube.com/watch?v=mfwdvhYIGtw
この曲は移植の後に聴いて、涙が止まらなかった曲です。
「
なにげない日常に花束を
なにげない景色に額縁を
題目のないこんなありふれた今日が
僕たちが描いてきた
生涯一の名作さ
」
もしかしたら明日死んでしまうかもしれない。
もしかしたら明日、大切な人がいなくなってしまうかもしれない。
そう考えると、今当たり前だと思っていることは、すべて奇跡です。
心からそう思ったあの頃の気持ちを、これからも忘れずに生きていきます。
あらためまして、自分と出会ってくれた皆様、ありがとうございます。