問題には良いものと悪いものがあります。
何を基準に良いものと悪いものとに分けるのでしょう?
良い問題は、乗り越えようする中で、悩み苦しむため、自身が起こした問題の原因となる言動を反省させてくれるものです。「もう二度と同じ問題を起こさないよう言動を慎もう!」と深く深く反省させられるもの。つまり、解決しようとする中で、人間的に成長させてくれる問題です。
悪い問題は、テクニックだけで解決できてしまうものです。ですから、解決しても反省もしなければ、謙虚になることもありません。要するに人間的にも成長できないのです。そんな問題は何回解決させても、人間としての本物の力はつきません。
でも、世の中では、特に仕事においては、そんなテクニカルな問題が大半を占めます。テクニックさえつけてしまえば、解決できることから、「問題解決のテクニックバカ」になってしまう恐れもあります。
勿論、そんな問題も解決していかなければなりませんが、テクニックを使って簡単に解決できたとしても、問題をバカにしたり、傲慢になったりしないようにしましょう。逆に解決できたことに対して、感謝の念を持ちたいものです。
母は、私に難問が起きる度に喜んでいました。
「良かったね、これで直太も乗り越えるために、真剣に頑張るようになるね!」と。
私が小学生の頃から、これは母の口癖でした。
不思議だったのは、私のみならず母に被害が及ぶ問題でも喜ぶのです。
忘れられないのは、私の高校受験の際です。
「滑り止め」としている学校を含め、6校を受験し失敗。残された学校は一校だけ。それも、模擬試験では一度も合格圏内に入ったことのない、私にしてみれば「高嶺の花」的な高校でした。
ですから、高校進学はほぼ絶望的。恥ずかしい「高校浪人」になってしまうことへの危機感で、私は呆然としていました。そのことを母に伝えたところ、予想外の言葉で一喝。
「良かったじゃない! まだ一校残っているんでしょ? だったら、命がけで最後の試験に臨めるじゃない。あなたは今までの学校受験では真剣でなかったから。最後に頑張れて良かった、良かった。世の中の厳しさを、今のうちに経験できるんだから、こんな素晴らしいことないのよ。落ちたら落ちた時よ。その時考えればいいのよ。高校に行くことだけが人生でないから。松下幸之助さんをみてごらん。小学校も中退で、あんな世界的な経営者になったじゃないの! あなたも、学歴なくても認められるくらいこれから一生懸命頑張りなさい。だから、高校受験で失敗するのは、大いにいいことよ。感謝しなさい」
母の楽観主義には呆れはしたものの、確かに高校受験での失敗は、勉強をしてこなかったことによる原因から起きた結果です。当然といえば当然の有様。
私は猛反省して、残りの一週間は、最後の最後まで諦めず必死に勉強しました。
その時できることといえば、過去に出た問題を徹底的に解いて分析し、出るであろう問題を予想する、つまり山を張ることだけでした。でも、その予想問題がほぼ全部といっていいほど見事に当たり、合格を勝ち取ったのでした。
その時の背水の陣としての勉強は、受験の合格のためではありません。他の受験生が真剣に受験勉強に励んできたのに、同じように頑張れなかったことへの反省からの懺悔の努力とでもいったところです。
振り返ってみると、この時、他校での受験で失敗して良かったとつくづく思います。なぜなら、どんなに窮地に追い込まれても諦めず、最後まで努力することの大切さを体験できたからです。
高校受験での失敗が、世の中に存在する「原因結果の法則」の厳しさを思い知らせてくれました。普段から真剣に努力して生きていないと、いざという時に、余計に苦しまなければならないことを実感したのです。



何を基準に良いものと悪いものとに分けるのでしょう?
良い問題は、乗り越えようする中で、悩み苦しむため、自身が起こした問題の原因となる言動を反省させてくれるものです。「もう二度と同じ問題を起こさないよう言動を慎もう!」と深く深く反省させられるもの。つまり、解決しようとする中で、人間的に成長させてくれる問題です。
悪い問題は、テクニックだけで解決できてしまうものです。ですから、解決しても反省もしなければ、謙虚になることもありません。要するに人間的にも成長できないのです。そんな問題は何回解決させても、人間としての本物の力はつきません。
でも、世の中では、特に仕事においては、そんなテクニカルな問題が大半を占めます。テクニックさえつけてしまえば、解決できることから、「問題解決のテクニックバカ」になってしまう恐れもあります。
勿論、そんな問題も解決していかなければなりませんが、テクニックを使って簡単に解決できたとしても、問題をバカにしたり、傲慢になったりしないようにしましょう。逆に解決できたことに対して、感謝の念を持ちたいものです。
母は、私に難問が起きる度に喜んでいました。
「良かったね、これで直太も乗り越えるために、真剣に頑張るようになるね!」と。
私が小学生の頃から、これは母の口癖でした。
不思議だったのは、私のみならず母に被害が及ぶ問題でも喜ぶのです。
忘れられないのは、私の高校受験の際です。
「滑り止め」としている学校を含め、6校を受験し失敗。残された学校は一校だけ。それも、模擬試験では一度も合格圏内に入ったことのない、私にしてみれば「高嶺の花」的な高校でした。
ですから、高校進学はほぼ絶望的。恥ずかしい「高校浪人」になってしまうことへの危機感で、私は呆然としていました。そのことを母に伝えたところ、予想外の言葉で一喝。
「良かったじゃない! まだ一校残っているんでしょ? だったら、命がけで最後の試験に臨めるじゃない。あなたは今までの学校受験では真剣でなかったから。最後に頑張れて良かった、良かった。世の中の厳しさを、今のうちに経験できるんだから、こんな素晴らしいことないのよ。落ちたら落ちた時よ。その時考えればいいのよ。高校に行くことだけが人生でないから。松下幸之助さんをみてごらん。小学校も中退で、あんな世界的な経営者になったじゃないの! あなたも、学歴なくても認められるくらいこれから一生懸命頑張りなさい。だから、高校受験で失敗するのは、大いにいいことよ。感謝しなさい」
母の楽観主義には呆れはしたものの、確かに高校受験での失敗は、勉強をしてこなかったことによる原因から起きた結果です。当然といえば当然の有様。
私は猛反省して、残りの一週間は、最後の最後まで諦めず必死に勉強しました。
その時できることといえば、過去に出た問題を徹底的に解いて分析し、出るであろう問題を予想する、つまり山を張ることだけでした。でも、その予想問題がほぼ全部といっていいほど見事に当たり、合格を勝ち取ったのでした。
その時の背水の陣としての勉強は、受験の合格のためではありません。他の受験生が真剣に受験勉強に励んできたのに、同じように頑張れなかったことへの反省からの懺悔の努力とでもいったところです。
振り返ってみると、この時、他校での受験で失敗して良かったとつくづく思います。なぜなら、どんなに窮地に追い込まれても諦めず、最後まで努力することの大切さを体験できたからです。
高校受験での失敗が、世の中に存在する「原因結果の法則」の厳しさを思い知らせてくれました。普段から真剣に努力して生きていないと、いざという時に、余計に苦しまなければならないことを実感したのです。


