生とは

 この世での人生はたった一度ですが、魂は永遠です。つまり、死んで体は滅しても、同じ魂でまた生まれ変わる。これは「生命の永遠性」とか「リカーネイション」ということで説明されてきました。
 生まれ変わっても、ほとんどの人は前世でどこにいて何をしていたのか等はまったく覚えていません。死んで記憶機能を持った頭脳含め体を失ったとき、魂のメモリーまでもリセットされますが、完全に消滅したわけではありません。ごくごく稀ですが、人によってはあまりにも魂に刻印されていて、思い出したり、何かを見たり聞いたりした際に、前世の場面が蘇る人もいます。これは、私がアメリカにいた際に、よくテレビのドキュメンタリー番組で報道されていました。
 人の魂は、死んだ後どこにいくのか? これはまだ科学的には解明されていないことです。しかし、死亡後の魂は、もともと来た宇宙に一端戻り、生まれてくる母親の胎内の胎児に再び宿る。これが「リカーネイション」としての説明です。

 仏教では、同じ人間であるにもかかわらず、様々な違いがある現実を、前世で起こした言動による原因からきていることを説いています。これは「原因結果の法則」「因果具時」「因果の理法」と呼ばれています。
 それでは、前世に悪い原因となる言動を行ったことで、今世で悩み苦しむ結果になってしまった場合、その人は、今世では死ぬまでずっと悩み苦しみ続けなければならないのでしょうか?
 この質問に対する私の答えは、もし今世でいい原因を積まなければ、「はい、その人は今世で悩み苦しみ続けることになる」です。でも、今世でいい原因となる言動を続けていけば、それこそ「原因結果の法則」で、いい結果が出始め、幸せを手にすることになるでしょう。
 それでは、そのいい原因とはなんでしょう。簡単です。世のため人のために生きることです。自らのお金、名声、地位、権力のために生きるのではなく、困っている人、悩んでいる人、苦しんでいる人を助け励ますことに生きるのです。
 勿論、ほとんどの人は出家しているわけでも、宗教家でもありません。また自分のことだけでいっぱいいっぱいで、人とかかわっている余裕がない人も多いことでしょう。私もそうでしたし、今でも必ずしも余裕があるわけではありません。
 しかし、私達がこの世に生を受けた理由や使命をもう一度考えてみましょう。自己のためだけになることをする理由で生まれてきたのではありません。
 世のため人のためになることをする理由で生を受けてきたのです。それはひいては、自分のためにもなります。社会や人のためになることをすれば、自分も嬉しくなります。それは生きる喜びとなって幸せを感じる。ですから、自分のことも頑張ろうとして、最終的には自分のためにもなります。自分が幸せを感じることから、他人ともその幸福感を共有したくて、更に他人を応援する。
 これを私は「幸せの壁投げ」と呼んでいます。つまり幸せという球を世や他人という壁に投げることで、自分に戻ってくる。強く投げれば強く投げるほど、自分に強く返ってくるのです。
 現実に置き換えれば、社会や人のために、一生懸命やればやるほど、自分に返ってきて自分のためにもなるということ。社会や人から評価・感謝され、自分も充実感で満足できる。とてもポジティブな流れです。
 まさに「生まれてきてよかった!」「生を受けて幸せ!」と思えるのです。
「生」とは世のため人のために使うことであり、そのために与えられたもの、またそれで幸せを感じることだと私は実感します。